不登校のWell-Being
1. プロローグ
私は、「学校」がとても嫌いだった。
いま現在、私は教育学の研究者として大学に勤めているし、もともとは小学校の教師だった。
要するに、ずっと「学校」と関わり続けている。
しかし、私はずっと、学校が嫌いだったと思う。
小学生の頃、自分で野球チームを作るような活発な少年だったが、宿題を全くせずに毎日クラス全員の前で怒られたし、グループで集まって遊んだりすることが苦手だった。
そして、担任の教師のことがとても嫌いだった。
中学生のころは陸上部の部長もしたし、勉強もよくした。
しかし、やはり集団で活動することに、あるいは集団を作ろうとする学校に「白々しさ」や違和感をずっと感じていた。
高校生ではラグビー部に所属し、1年生から試合に出ていたが、先輩後輩の縦社会や強制的な練習、そしてチームでの行動や意思疎通に疲れ、2年生で辞めてしまった。
そして生まれて初めての「不登校」を経験した。
威圧的な教師や、その中で縛られて勉強することに反発し、高校を中退して大学に進学しようと決め、家出もした。
そのころ、大学教授の父が病に倒れ、心配をかけることに躊躇を覚えて高校に戻った。
そしてすぐに父は亡くなった。
そして進学した大学はなぜか「教育大学」だった。
教師になりたいわけでもなんでもなかった。
目指す大学の文学部に落ちて、仕方なく入学した。
相変わらず「学校」が嫌いで、ろくに出席もせずにどんどん単位を落とし、結局7年かけて大学を卒業した。
そのような「学校」生活を送ってきた私は、小学校の教師になり、教育学の研究者になった。
だからかどうかわからないが、「不登校」の子供たちの内面がとてもよくわかる。
私が子供のころは、不登校は「登校拒否」と言われてある種の病気と認識されていた。
「学校」は、人生を豊かに生きるための絶対的な基盤であると信じて疑われない存在だった。
しかし今、「不登校」は、
「不登校児童生徒への支援は、『学校に登校する』という結果のみを目標にするのではなく」(「不登校児童生徒への支援の在り方について」文科省、2019)
というように、ある意味では容認されている。
しかし大きな問題は、その容認は支援ではないということだ。
不登校の子供たちは、日本の社会の中で置き去りにされようとしている。
「普通教育機会確保法」(2016)は制定され、学校外の学びが出席認定されるようにはなっているが、学校外の多様な学び方を社会(国)は支援していない。
これから私が展開しようとする「不登校のWell-Being」の探究は、学校に行かないことを選択した子供たちの幸せな人生を実証しようとするチャレンジである。
その研究と実践の過程を、ここに記しながら進めていこう。