不登校のWell-Being-8
第1章の終わりに

昨年夏、私たちが実践する”イノベーティブフリースクール SALA”のStudents Team SALAは、不登校の子供たちを集めてイベントを実施する企画を立てた。

学生たちは企画当初、新学期が始まる8月末を開催目標にして毎週ミーティングを重ねていた。

しかし、私から見ていると、それは思うように進んでいないようだった。
前回紹介した、リーダーのニナが孤軍奮闘しているようで、どこかでみんなが
(そんなこと、実現できるんだろうか。不登校で苦しんでいる子どもたちが、私たちの企画に参加してくれるんだろうか)
という、雲をも掴むような感覚だったように思う。

不登校で苦しむ子どもやその親が、よくわからない団体の企画に信頼を寄せるのだろうか、という現実的な疑問が生じていた。

結果的には、教員採用試験のさなかだった彼女たちは、それが終わってから取り組もうということになり、そしてイベントは実現しなかった。

しかし、学生たちは、不登校の子どもたちを支援することの容易ではない現実を、実感的に学んだのではないだろうか。
そのことは大きな学びだっただろう。

だが、リーダーのニナにとっては痛恨の諦めだったのではないだろうか。

サークルを立ち上げ、その最初のリーダーとして成し遂げたことは何かと、自問自答している様子が想像できた。

そして、リーダーのニナは見事に某自治体の教員採用試験に合格した。
あとは残る大学生活を謳歌すればいい。

たかがサークルである。
不登校の子どもたちとも関わってはいない。
大した責任は生じていないのだから、そのままフェードアウトしても良さそうなものだし、サークルの全体の雰囲気としてはそのような感じになっていた。

だがその後、私がSALAを立ち上げるにあたり、ニナを「巻き込もう」としたことに間違いはなかったことが証明される。

2月に大学で、地域の子どもたちを招いてイベントが開催されるのだが、そのイベントブースにSALAはエントリーしていた。

当日参加できるかと、ニナがSALAのメンバーに投げかけたが相変わらず反応が薄かった。

このとき、おそらくニナは、(1人でもやってやろう)と思っていたのではないか。
そう感じたのは、前日に見た工夫に満ちた、周到な準備だった。
全てはニナの頭の中にイメージされていたのだ。

前日、遅くまで準備に取り組み、本番を迎えた。
そして、13時のスタートから17時まで、途切れることなくSALAのイベントブース「宝探し」に子どもたちの笑顔が溢れた。

期待に胸を膨らませて行列を作る子どもたちに、わかりやすく工夫した方法で4時間もの間ルール説明をするニナの姿を私はリスペクトし、そして感動で胸がいっぱいになった。

何よりもニナは、SALAを捨てず、諦めず、未来に繋いでくれた。
そのことは、いずれ不登校や現代の学校教育の中で苦しむ子どもたちへとつながっていくということだ。

ありがとう。

ニナは私の研究室に、1冊のノートを残した。

表紙に大きく“SALA”と書かれたノートをめくると、印刷したカレンダーが貼られている。

計画を立て、責任を持って進めようとしていたことが分かった。

このノートを、あるいはこのようなノートを作るような次の世代に、私はニナの意志を繋ぐ責任がある。

そしてニナが繋いだSALAは、これから新たな展開をしていくだろう。

これは、SALAの第1章の締めくくりとして書いておきたかった物語だ。


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