「いじめと教師の力量」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.50

学校があるからいじめがあるのか

昨日(2021年10月13日)、「令和2年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果について」(文部科学省初等中等教育局児童生徒課)が公開された。

令和2年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果について(p26)

ニュースとなったのは、令和2年の「いじめの認知(発生)件数」が減少しているという結果だ。
だがこれは、考えてみれば当然の結果だ。

令和2年、つまり2020年は、covid-19の世界的パンデミックの年で、日本では歴史上初めての「全国学校一斉休業」が実施された(建前上は「要請」)年だ。
だから学校が平常通りに運営されなかった年になる。
2020年3月2日からの「休校要請」は、春休みまでとされていたが、結果的には学校が再開されたのは6月だった。

学校が再開されたからといって、子供たちがみな学校に戻ってきたわけではない。
2学期の開始時期に政府は「一斉休校」の影響の大きさからか、その運営を各自治体に委ねた。
ぼくが知る自治体では、「選択制」をとると担当者は言っていた。
「選択制」とは、学校に行く、行かないを保護者(各家庭)が選択するということだ。
実態としてどれくらい学校に「行かない」ことを選択しているのか聞くと、各学校で1割程度はいるということだった。

子供たちが学校に行かないと、「いじめが減る」という構図は、ある意味では当然なのかもしれないが複雑な現象だ。

では、「学校がなければいじめがほとんどない」ということなのか。

「学校」は「いじめ」の温床ということなのだろうか。
そこにいる教師には、何が求められているのだろうか。

学校、教師に求められる力量とは

平成27年11月に発生した、名古屋市の中1男子生徒が自死した問題で、第三者機関である「いじめ対策検討会議」が検証結果を報告した。
そこではいじめの存在の認定のほかに、「学校の過失」が報告された。
その文言には、「安心感が損なわれる学級の雰囲気」「他の生徒の指導や管理の不十分さ」「担任のスキンシップが生徒には不快に感じられ」など、教育関係者にとっては痛烈な文言が目に入った。
そして、「再発防止のため、教師が生徒の気持ちを洞察する能力を向上させることが必要」と主張し、「教育現場にさらなる努力を求めた」(H28年9月2日、産経)。

死を決断するほどまでの苦しみを抱き続けた中学生の儚かった人生と、我が子を思いもよらぬ形で失った遺族の悲しみは、察して余りある。
一方でこの記事から、教育関係者の戸惑いと悲鳴も聞こえてくるようだ。
「二度とこのような悲しい問題を起こしたくない」のは、誰しも同じ思いだろう。
しかしそのために、「教育現場にさらなる努力」を求められたとき、どのような努力をして、どのような能力をつけていけばよいのだろうか。
考えていこうと思う。
(次回へと続く)



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