教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか

教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか
「最終回 憧れの教師に 〜それは、すべてが変わるところから始まる〜」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.100

教師はいい職業なのか、という問い ここまで、教師の「憧れ」について探究し、No.100を迎えた。ここでひとつの区切りをつけようと思う。 そこで、「教師の憧れを取り戻す」探究の旅のなかで、何を課題として発見し、見出してきた […]

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「まとめ⑦ 自分の感受性くらい」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.99

ある研究会で 先日、ぼくが副会長兼事務局長を務める研究会が開催された。 この研究会は、現場教師が飛びついて参加するような教科教育(とくに算数や国語、最近なら道徳)の研究会ではなく、教師にとっては「やってもやらなくてもいい […]

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「まとめ⑥ 子供の貧困と教師」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.98

エリート校の教師について 教師になることを目指す学生が「どのような教師になりたいのか」という問いに、その中にいる5人の、「授業を理解できずに苦しんでいる生徒」を救い出すことという明確で高い志があった。そこで、教師の存在意 […]

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「まとめ⑤ 教師になる高い志」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.97

教師を目指した時の「高い志」 先日、1人の学生がメールで面談を申し込んできて、ぼくの研究室にやってきた。 その学生はぼくの授業をとっていたし、とても優秀な学生だったから知ってはいたが、ぼくのゼミ生でもないし学科も違う。 […]

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「まとめ④ 大学で何を学ぶのか」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.96

大学における教員養成のジレンマ 「どのような教師になるのか」、あるいは「教師は何をするべきなのか」について考えていくために、まず大学における教員養成の課題について明確にしておこう。 現在の日本における教員養成のシステムは […]

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「まとめ③ 教師と福祉」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.95

教師のソーシャルワーキングについて もう少し、「教師の働き方」について考えてみよう。 公教育に資する教師という職業は、「公務員」(公立学校の場合)だ。したがって、理念としては自らの利益よりも公の利益のために自身を犠牲にす […]

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「まとめ② 教師の働き方」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.94

教師の働き方と憧れの関連 教師の仕事というものは、「労働時間」や「労力」では測ることができない。 たとえば職員室に残り、夜遅くまで学級通信を作っている姿は立派だと思う。あるいは朝の教室で、教卓に山積みになっている漢字ドリ […]

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「まとめ① 教師の”ノブレス・オブリージュ”」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.93

ここから、本シリーズ「教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか」のまとめに入っていこう。それは、「どうすれば教師は、憧れを取り戻すのか」ということへの探究だ。 “ノブレス・オブリージュ” 歴史上で […]

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「カリキュラム・イノベーション⑤ 〜”マイ・カリキュラム”という考え方〜」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.92

カリキュラムは誰のためにあるのか ぼくが考えるカリキュラムの世界観の矮小化の要因は、「学習指導要領」にあるということだ。 ナショナル・カリキュラムである学習指導要領は、カリキュラムを「公」のものにしてきてしまったという感 […]

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「カリキュラム・イノベーション④ 〜学校と教師がカリキュラム開発の主体となるために〜」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.91

カリキュラム・マネジメントへのポジティブ性とネガティブ性 カリキュラム・マネジメントの理論は昔からある。例えばカリキュラム研究を牽引してきた中留武昭が「カリキュラムマネジメントの定着過程」を記したのは2005年のことだ。 […]

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