「教師は万能であるという偶像と、いじめへの対応」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.56

日本の教師の有能性といじめ

前回(シリーズNo.55)では、「いじめの発見」について考えた。
そこでは、被害児童生徒に近い存在、とくに保護者や担任教師ほど、いじめを発見しにくくなっている実態がわかった。
それとともに、いじめが発生したとき、その被害児童生徒は学級担任に多く相談しているという実態がわかった。

このことは、学級担任と児童生徒との関係性において、やはり日本の教師の有能さを示しているようだ。
たとえばアメリカでは、校長は学校経営学の専門家がなるし、生徒指導課題は、専門的な学問をおさめたソーシャルワーカーがその役割を担う。
だからティーチャーは授業をすることを専門にし、それ以外の多様な状況に関わらないことが一般的だ。
今次改訂の学習指導要領で打ち出された「チーム学校」が、アメリカでは成立している。

だから日本の教師の多忙は止まるところを知らない状況が続く。
ティーチャーとしては有能で多忙だということが、海外での日本の教師の評価だろう。

日本では、教師とは万能であるべきだという偶像が、形を変えながら現在でも存在している。
かつては「聖職者」というメタファーもあった。
だから、教師の「不祥事」は注目されるし叩かれる(本シリーズNo.11,No.12,No13を参照)。

しかし、だからと言っていじめを発見できる魔法のような能力を持っているわけではない。
逆に、児童生徒との距離が近く、信頼性が厚いからこそ、児童生徒は「先生に知られたくない」という心理が余計に働いている可能性もあるだろう。

教師にいじめを相談することの有効性

では、いじめについて相談された教師はどのように対応してきたのだろう。
森田(2010)ではこのようなデータが紹介されている(図1)。

【図1】を見ると、まず左側「学校の先生はいじめをなくそうとしたか」では、およそ半数の教師がいじめの相談を受けている。
そのうち42%の教師が「先生はなくそうとした」と児童生徒に評価された。
だが1割近くの教師が「何もしてくれない」という実態が気にもなる。
また、半分近くの教師が「先生は知らない」と評価されているという実態も気になるところだ。

一見、42%の教師が「先生はなくそうとした」という評価を得ていることに目がいくのだが、見るべき視点はそこではなさそうだ。

では、右側のグラフ「学校の先生がいじめをなくそうとしたことによる効果」を見てみよう。
いじめを受けた、あるいは周囲の児童生徒がいじめの相談を教師にした結果、「いじめがなくなった」と評価した児童生徒は23%であり、「少なくなった」という評価は42%だった。
総じて65%の児童生徒が、教師に相談したことによる効果を実感したことになる。

その一方で、「いじめは変わらなかった」(28%)と「いじめはひどくなった」(7%)という評価にも目がいく。
35%の児童生徒の評価は、いじめを教師に相談することの効果がなかったという評価だ。

森田(2010)ではこのデータに対して、

「教師が介入するとかえって事態が悪化すると思われがちだが、この調査結果は、そうした思いこみが誤っていることを示唆している」

と解釈している。
確かにそのような見方ができるしそう解釈したいが、この調査結果からはもうひとつの読み取り方ができるだろう。
それは、

「いじめについて先生に相談した児童生徒のうち、結果がよくなった(いじめがなくなった、少なくなった)のは全体の27%程度だ。このことは、児童生徒がいじめについて、教師に相談することの有効性が低いことを示唆している」

教師がいじめに介入することの困難

ぼくはかつて、小学校の教師をしていたとき、まさにいじめに介入することによる失敗を経験している。

6年生女子の集団(5人)対1人のいじめだった。
被害児童は5年生のときにいじめのリーダー格だった。
集団を味方につけ、気に入らない児童を順番にいじめた。
気がつくと、そのリーダー格にいじめられた経験のある児童たちが結託した。
そして報復が始まり、かつてのリーダー格は1人になった。

日に日に痩せほそり、毎時間のように孤独に泣く児童が可哀想で、ぼくはその児童につきっきりになっていた。
すると、いじめる側になっていた児童たち(そして親も)がぼくを責めた。

“私たちはあの子のせいで、どれだけ辛い思いをしたか。
それなのに、先生はどうしてあの子を守るの。
自業自得なのに”

そんなことは、ぼくもわかっていたし、かつてのリーダー格も分かっていた。
毎日泣きながら、「私が悪かったことは分かってる。だけど辛い」と言っていた。

その子を、どうして見放すことができるだろう。
だが結局、状況は全くよくならなかった。
ぼくの力では、そのいじめをなくすことはできず、あるいは状況を悪化させていたかもしれない。

教師が、いじめに介入することはとても難しい。
あるいは、「解決したつもり」になっていることもあるだろう。

「もうやめなさい。いじめは良くないよ」
「はい、やめます」

それでは終わってはいない。


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