不登校のWell-Being
7. 「変わり者」の必要性

私が不登校支援サークルの立ち上げを計画し、最初に相談を持ちかけたのは4回生の学生だった。

彼女を仮にニナさんとしよう。

ニナさんは私のゼミの学生だということもあるが、この計画に乗ってくるだろうという確信があった。
なぜなら、彼女はもちろんいい意味で、少し変わっているからだ。

この時期、4月の4回生といえば、私が勤める大学では教員採用試験対策にかかりっきりになる。
学生たちの雰囲気もどこか変わり、そこかしこで勉強する姿が見られる。

そのような時期に、「不登校支援のサークルを作ろう」と言って飛びつく学生はかなりの「変わり者」と言えるだろう。

だが、そこがいい。

ニナさんは案の定、私の提案に目を輝かせて乗ってくれた。
そして彼女が呼びかけた仲間は9人中、7人が教員採用試験に取り組む4回生の学生で、みんなこの話に乗った。

周囲の学生が下を向いて、ひたすら採用試験対策の問題集に取り組んでいる横で、毎週のようにミーティングを開き、夏休みに企画している不登校支援イベントの企画会議をしている姿は、とても奇異なものかもしれない。

しかし、この学生たちは、本物の教師になるのではないだろうか。

「変わり者」というのは、どの時代にも重要な存在だ。

私が心から尊敬し、敬愛したT学長がいた。

T学長は、変わり者で、管理的立場のものにとっては厄介な存在の私をとても可愛がってくれ、ことあるごとに学長室に呼んでいろんな話をしてくれた。

あるとき、こんな話を私にした。

江戸時代の教学施設で、のちの東京大学の前身とも言える昌平坂学問所を知っているだろう。
学問所を作ろうとした時、その趣旨から外国に精通しているものを教師として呼ぼうと集めた。
するとどんな人たちが集まったと思う?
みんな変わり者だったんだ。
集まって来たのはみな、「異なるものたち」(いなるものたち)と言われた。
だが、その「異なるものたち」がいたから、東京大学ができたんだろう。
世の中でいいものを作る時、そこには「異なるもの」が必要なんだ。

そこでT学長は私を指さして、笑いながらこう言った。

「君がそうだ。異なるものなんだ。だから嫌われる(笑)。」

「だけど、君みたいなヤツが必要なんだ。大学という所には」

私は、嬉しくて仕方なかった。
褒め言葉にしか聞こえなかった(この時点で変わっている)。

イノベーティブフリースクール”SALA”に集まった学生たちは、「異なるもの」たちに違いない。

そんな学生たちだからこそ、25万人の不登校の子供たちのことを真剣に思い、現存の教育と真っ向から向きあっていけるのだと思う。

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