不登校のWell-Being
3. 不登校が「普通」の社会
いよいよ、不登校のWell-Beingの具現化に向けて動き始めている。
このシリーズでは不登校の理論と実践についての記述に加えて、これから始める「不登校のWell-Being」の具現化に向けての過程を紹介していこうと思う。
これから、イノベーティブ・フリースクール”SALA”を展開していく。
その過程を発信しよう。
4月のこの時期は、始業式や入学式で華やぐ。
しかしその一方で、不登校の当事者(親も含めて)によるSNS等の発信内容に言葉を失う。
“明日は始業式。明日が怖い。息子は学校に行ってくれるだろうか。”
このような思いを抱いて、この桜の季節を過ごした当事者は22万人(令和3年度の不登校児童生徒数統計上)を超えていることになる。
22万人の子供たちと、その家族や周囲の数の分、苦しみや悩みがある。
これから展開していこうとする”SALA”は、不登校のイノベーションだと言ってもいい。
これまで(そして今も)、日本社会は学校が教育の中心であり、そこを経なければ豊かで良い人生(Well-Being)が得られないという潜在的な通念が存在する。
では、なぜ22万人もの子供が学校に「行かない」ことを選択するのだろう。
それは、今の学校がその子供たちにとっては(小学生なら100人に1人、中学生なら24人に1人が)魅力的ではないからだ。
こうなってくると、不登校はもはや普通のことと言えるかもしれない。
しかし、その当事者たちは自らを、あるいは我が子を「異常な状態」としてみる。
だから、休日に親子でイベントごとに参加できず、揃って家に引きこもらざるを得ない。
参加すれば、「学校には来ないの?」という話になる。
そこで、「うん。うちの子は学校じゃなくて”SALA”に行ってるから」
と、堂々と言えるような社会になることを望んでいる。
実態はそうではない。
SNSで、このような驚く内容の言葉が発信されていた。
適応指導教室に見学にいきたいのですが、学校の校長先生が許可をくれません。
これは本来、あり得ない話だ。
すでに法律で、学校以外の場所で学ぶ権利、学ばせる義務は保証されている(義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律)。
略して「普通教育機会確保法」。
例えばそこには、以下のような条文がある。
(学校以外の場における学習活動等を行う不登校児童生徒に対する支援)第十三条 国及び地方公共団体は、不登校児童生徒が学校以外の場において行う多様で適切な学習活動の重要性に鑑み、個々の不登校児童生徒の休養の必要性を踏まえ、当該不登校児童生徒の状況に応じた学習活動が行われることとなるよう、当該不登校児童生徒及びその保護者(学校教育法第十六条に規定する保護者をいう。)に対する必要な情報の提供、助言その他の支援を行うために必要な措置を講ずるものとする。
義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律
校長はこの命を受け、当該児童生徒、そしてその保護者に「必要な情報の提供、助言その他の支援を行うために必要な措置を講」じなければならない。
したがって、その状況に応じた学びの場を模索しようとする保護者に、その活動を「許可」する権限は校長にはないし、明らかに不登校に対する認識不足だと言えるだろう。
この発信には続きがある。
発信に対する様々な助言に対して、当事者はこう答えている。
それでも見学に行くべきだといいますが、そんなことして学校や校長先生との仲を拗らせたくなくて
不登校の当事者は、こうして悩み、苦しんでいる。
学校は、イノベーションが起こりにくい。
変化を恐れ、不易を重視する。
そして閉塞的な空間と、変わりない日常に中で日々がすぎていき、「学校の常識」以外を受け入れることができない。
日本の学校は、このまま変わらないだろう。
しかし、世界は、社会は変容していく。
そこに、活路は見出せるだろう。
その活路について、これから発信していこう。