教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか
「いじめと教師の力量」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.50
学校があるからいじめがあるのか 昨日(2021年10月13日)、「令和2年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果について」(文部科学省初等中等教育局児童生徒課)が公開された。 ニュースとなった […]
「リアリティ・ショックの”リアル”とは何か」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.49
今日、2人の看護学生からとても貴重な話を聞いた。 そこには、「リアリティ・ショック」の若齢化、あるいは早期化を感じさせる実態があった。 この2人の看護学生は、ぼくが非常勤で週1回の授業を担当している大学病院の附属大学の学 […]
「教師の多忙感の実態」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.48
教師の「多忙感」について 今次改訂された学習指導要領では、小学校では英語教育の強化により、年間140時間の授業時数が増加した。また、プログラミング教育の導入など、その改定は、平成10年度改定のゆとり教育前への「回復」であ […]
「教師を目指す学生が、学校現場を体験することのメリット・デメリット」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.47
学校インターンシップに行って教師になることを諦めようとしている学生 つい先日のことだ。ぼくの講義が終わったあと、片付けをしているぼくのところに数人の学生がきた。そしてこんな相談をしてきた。 「教師を目指すのをやめて、一般 […]
「教員養成の質的転換へ」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.46
ここまで数回の連載で、教育実習に関してぼくが見てきたものについて紹介し、論考してきた。ここからは視点を変えて、「教員養成」について考えていきたいと思う。 教員養成のフラッグシップとは 現在、文部科学省では「教員養成フラッ […]
「お別れ会での涙と教師になる資質」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.45
「新しい時代」の教育、という曖昧さ 2015年1月に文部科学省から発信された「高大接続改革実行プラン」は、センター試験の廃止や記述式試験の導入などがセンセーショナルにクローズアップされた。だが結局のところ、受験生が翻弄さ […]
「教育実習で授業をすることの意味は」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.44
前回(No.43)は学生ボランティアと教育実習の違いについて述べた。そこでは最後に、「先生」として、「子どもたちに対する責任」を痛感する体験をさせてくれるのは、授業だと結んだそこで今回は、教育実習生の「授業」について論考 […]
「学生ボランティアと教育実習について」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.43
今回は、教育実習生そのものに焦点をあて、教育実習現場での実際の学びと、その学びの有用性や効果について論考してみよう。その前に、学生ボランティアの立場の困難さについて考えてみよう。そのことが、教育実習におけるStudent […]
「教育実習を受け入れる学校の役割と実態」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.42
前回、「教育実習生を送り出す大学の役割と責任」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.41では、教育実習に学生を送り出す大学の役割と責任について述べた、今回は、「実習を受け入れる側」について考えていこう。 公立 […]
「教育実習生を送り出す大学の役割と責任」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.41
「指導案」をどう教えるのか ぼくが前職(国立大学附属小学校の教員)で属していた国立大学法人では、年に1度、教育実習担当者会議が開催され、大学の教育実習担当者と、各附属学校園の教育実習の責任者が意見交換を行う機会が持たれて […]