「教師の多忙感の実態」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.48

教師の「多忙感」について

今次改訂された学習指導要領では、小学校では英語教育の強化により、年間140時間の授業時数が増加した。
また、プログラミング教育の導入など、その改定は、平成10年度改定のゆとり教育前への「回復」であると謳われている。
一方で、今後の教員採用者数は、少子化と退職者数の頭打ちから、減少する傾向は否めない。
さらには教職志望学生の減少から、教員採用試験の倍率が最低ラインを更新し続けていることについては、本シリーズで述べてきたところだ。

これらのファクターから、教師の「多忙感」が増大していくことは否めないだろう。

ぼくが小学校の教師をしていたころ、その職業を名乗るとたいていの場合、「大変ですね」と言われた。
その言葉の裏側には、薄給のイメージとともに、いじめや学校安全、不登校などの現代的課題に追われる教師の姿があっただろう。
だがそう言われても、ぼく自身はピンときていなかった。

「大変だ」と思ったことはなかったし、それよりも「やりがい」と「誇り」が勝っていた。

教師の「バーンアウト(燃え尽き)」に関する研究(宮下、2008)では、教師にもっとも強い影響を及ぼすストレッサ―は多忙に関するストレス、あるいは「多忙感」であると示した。
しかしながら、教職に向けられるいくぶん特殊とも言える社会の視線(かつての「聖職者」イメージ、道徳性など)や、教育が持つ宿命としての「成果の曖昧さ」からくるストレスが、一般的な「多忙感」とは異なるものを生み出している可能性もある。
したがって、教師の「多忙感」の質的側面に着目する必要はあるだろう。 

実際に教員が持つ「多忙感」はどのようなものなのか。
ある研究会でぼくは、独自に作成した10項目からなる「教員の多忙感に関する調査」を実施した。
調査対象は教員歴1年から19年までの小学校教員であり、40名を対象とした。
回答は5件法で、5(とてもそう思う)から1(まったく思わない)で回答を得た。
この調査で、質問2の「自分は多忙である」という質問の回答結果は4(そう思う)以上の回答は全体の67%であり、「多忙ではない」と感じている教員が33%いることを示した。
その一方で、質問1「教員という職業は、多忙であると感じる」という、自己とは少し距離を置いた形での質問に対しては、88%が4以上で回答した。
これらから、「教員という職業は多忙だが、自分はそれほど感じない」という様相も見え、世間や、教師自身が感じている「多忙感」とは直線的には結びつかない様相が浮かび上がる。
この結果と相関性を見出すのは、質問6の「教師という職業にやりがいを感じている」に対する回答結果である。結果は平均4.57を示し、4以上の回答は100%であった。

この結果から、「やりがい」と「多忙感」の相関性が垣間見える。
この調査に協力してくれた教員がこう言っていた。

「私は道徳の研究をしていますが、そのことでいくら忙しくても多忙だとは感じません。でも、保護者対応や校務分掌の事務的な仕事に追われているときは、多忙だと強く感じます」

教育実習生が教師の姿から感じたこと

ぼくはかつて、教育実習に行く教職志望の学生に、独自に作成した「教育実習日日調査」を渡し、記録させたことがあった(ただでさえ忙しい教育実習にそのような課題を出し、当たり前だがかなり不評、というか学生はその調査に取り組む余裕がなかったので、この年だけの幻の調査になっているが)。

内容は、例えば「教師になりたい」という感情を5段階で記させ、そう感じた出来事や思いを一言記入するものだ。
そのことにより、より有効な教育実習内容へと結びつけていこうとする研究の一環だった。
この調査から、思いもよらなかった結果が表れた。

教職への強い思いを抱き、大学でも活躍する場面が多い1人の学生は、教育実習によって教職に対する希望や思いを著しく減退させた。
また、教職を志していた学生は、教育実習日日調査の10日目に、「教師になりたい」が5(とてもそう思う)から3(どちらでもない)になり、20日目には1(まったく思わない)になった。
そして今、実際に別の職業についている。
この2人の学生に複数回の聞き取りをしたところ、共通した文言が出た。
それは「先生たちはバタバタしている」であり、それに続けて、「あんなに忙しいなんて」「教師って、もっと楽しいものだと思っていた」という言葉だった。
そして、「先生たちに話しかけにくい」という言葉も出た。

この学生たちには、教職(あるいは社会というもの)は憧憬のみでは務まらないことも話さなくてはならないだろう。
しかし、この学生たちの言葉に頷かざるを得ない現実もある。
小学校の教員をしていたころ、午前中の出張から戻り、5時間目に間に合うように校内に入った瞬間、さっきまでいた校門の外の世界とはまったく違う、喧噪に満ちた空気に目が眩みそうになった覚えがある。
誰もが早歩きでその場所に向かい、歩きながら子どもの声に耳を傾け、大声で指示を出し、下校までに返却しなければならないノートに赤ペンを走らせている。

教職の「憧れ」を取り戻す教員養成を

世間が教師の「多忙」を、半ば同情の視線で話題にし、置き去りにされた現場の上で授業数の増加や新しい教育内容が沸いてくる。
教育実習生は、そのような教師の姿を1か月見るうちに、現実が「憧れ」を凌駕する。
しかしこれからは、そこを乗り越えて教師になる、教職の体幹を鍛えていかなければならないことも一方では必要だ。
教職とは、目の前の子どもだけを対象にした職業ではないことを、学生たちは知らなければならないし、いずれ知ることになる。
先の「教員の多忙感に関する調査」では、「日常の業務でもっとも多忙だと感じる業務は何ですか」という質問に対し、「ア・授業」「イ・生活指導」「ウ・校務分掌」「エ・保護者対応」「オ・会議」「カ・その他」で回答を求めた結果、「ウ・校務分掌」が36%でもっとも多くを占めた。

教職の理想を語り、古い体験を語り聞かせていると、有望な学生が現場を見て失望感を膨らませるだけの教員養成になる。
これからの教職の体幹とは何かを細分化して明確にし、未来に活躍する能力を構築していく必要がある。
その新しい時代の教職の体幹は、「憧れ」が「多忙感」を凌駕する教師を生んでいく。

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