学校の反脆弱力① プロローグ−1「学校の脆弱性と反脆弱力」

学校の脆弱性と反脆弱力

2019年12月にその姿を見せはじめた新型コロナウイルス(以下、covid-19、コロナ、あるいはコロナ禍)。

今現在、それから2年半が経つ。

こんなにも長引き、こんなにも人々の人生に影響することをだれが想像しただろう。

学校教育は多大なる影響を受けた。

だが、学校が、教育が「どのような」「どれほどの」影響を受け、子供たちにどのような影響を及ぼしているか、あるいは影響する可能性があるのか、検証されていない。

なんとなくこのまま元に戻っていけばいい、というところで目を瞑ろうとしている感じはないだろうか。

それは、前に進み続けなければならない学校教育のサガであり、仕方のないことである反面、この「失われた2年間の学校教育」を、しっかりと見つめ直すべきである。
そのことによって、「失われた」のではなく「再生の」ための2年間にしなければならない。

コロナ禍については主に「経済」の面で多くが語られ、検証されてきた。

経済的な支援は、十分ではなくともされてきたという実態がある。

しかし、失われた教育には目が向けられていないのではないか。

2020年に生まれた子供たちにとっては、その人生の3分の1がパンデミックの中だった。

2020年4月に小学校に入学した子供たちは、いまだにマスクをした担任教師しか知らないし、楽しい会話の中での給食を経験したことがない。

2020年4月に入学した大学生は、オンライン授業で仲間を作ることができなかったし、学ぶことへの意欲やきっかけを失った学生もいるだろう。

それは、新たな学習の形への対応ができなかった教育の場に責任がある。

このようなことの影響は、今、少しずつ影響が及んで倒産する企業が増えてきているように、子供たちの人生に目に見えない影響を与えていくかもしれない。

それはどのような影響なのか?

どうすれば、それを良い影響に変えることができるのか?

学校教育は、どのように変わっていくのか。

どのように変えていけばいいのか?

これらを学校教育現場の声、子供たちの姿、調査に基づくエビデンスをもとに語られていかなければならない。

そのためにはまず、学校教育がコロナの前にいかに「脆弱」であったかを見つめ直す作業が必要だろう。

コロナ禍は、学校教育の脆弱性をいくつか指摘してきた。

「いじめ・不登校」「保健衛生」「学校のチーム力」「学校のカリキュラム力」「学校安全力」「学校のチェンジ力」

 次回、これらの脆弱性について、例を挙げて検証してみよう。

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