大阪教育大学附属池田小学校事件 21年目のこの日に②

大阪教育大学附属池田小学校事件から21年目のその日。

ぼくのゼミ生だった学生で、昨年卒業して新任教師としてがんばっている学生からこんな知らせが届いた。

「こんばんは!
夜分遅くに失礼します。

今日の朝の会で、附属池田小学校事件のことを話しました。
「先生はみんなの命を守りたいと思ってるけど、守りきれないこともある。
自分の命は自分でしか守れない。

明日、道徳で命の大切さをテーマにした授業をするので、今日の事件のことを話しながら考えてもらいたいと思っています。

〇〇先生からいろんな話をしてもらってきたからこそ、今日私は子供たちに伝えることができました。
ありがとうございます。
これからも、伝え続けていけるように頑張ります」

この学生は、入学当初「吃音」で悩み、教師になるか揺れていた。
大学で「吃音」のことを公表し、乗り越え、教師になった学生だ。

ゴールデンウィークに会ったとき、教師という職業を楽しんでいる様子が伝わり、輝いていた。

そんな元ゼミ生からの便りは本当に嬉しかった。

同時に、大きな課題を感じた。

伝承の困難

阪神淡路大震災から27年。
附属池田小学校事件から21年。
東日本大震災から11年。

震災や事件を体験していない教師が、その教訓を伝えていかなければならない。

さきに紹介した学生は、附属池田小学校事件のときに1歳児だった。
その学生が、事件のことを話している。

その時に、きっとこんな思いがよぎる。

(私は事件を知らない。先生から聞いただけ。そんな私が、子供たちに事件のことを話してもいいのだろうか)

結論から言うと、そんな教師が伝えていかないと、教訓は今目の前にいる子供たちの命につながっていかない。

教師による伝承は、とても貴重で重要だ。

しかし、事件や災害の未体験教師の「ジレンマ」の存在がある。
このことについて研究したので、次回はそのことについて記述したい。

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