「不登校の子供は異端なのか」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.63

これまで、不登校の要因について考えてきた。
今回は、高校生で一時的な不登校を経験した高校生の実例を挙げて、不登校の心理や状況について考えてみよう。

ある高校生の不登校

このモデルをAくんとしよう。

Aくんは比較的裕福な家庭に育った。
母親は専業主婦で、父親は有名国立大学の教授だった。
小中学校時代を何不自由なく過ごしたAくんだが、振り返ってみると集団行動は苦手なようだった。

野球が好きだったので地域の少年野球チームに入った。
投げることも、打つことも群を抜いて上手かったが、チームでみんなが同じ方向を向いているということに馴染むことができなかった。
それはAくんにとって、自然なことではなかったのだ。
例えば誰かが簡単な捕球ミスをしたとき、みんなが「どんまい」と言って笑顔でいる。
Aくんはそのような雰囲気に馴染むことができずに、いつしか練習にも行かなくなった。

Aくんは勉強もよくできた。
中学生のとき、周りの友達が塾に行き始めていたのでAくんも行きたくなった。
しかし、塾の教室の言いようのない違和感に耐えきれず、1日で辞めてしまった。
部屋で、ひとりで勉強している方がいいことに気がついた。

高校は、公立の進学校に進んだ。
そこでAくんは、ずっと憧れていたラグビー部に入部した。
走りも一際速く、センスが良かったAくんは、1年生の6月にはレギュラーに抜擢された。
そんなAくんだったが、部活の上下関係がうまくいっていなかった。
先輩たちにすれば、いきなりセンスだけでAくんにレギュラーを奪われた形だ。
緑色のジャージを着ていたために「バッタ」とあだ名され、ことあるごとに先輩風を吹かされ、Aくんは苦痛だったしその理不尽さに懐柔されないAくんは、少しずつ孤独になっていた。

そんなとき、決定的な出来事が起こった。
Aくんの父親が癌に冒され、幸福だった家庭に暗雲が立ち込めた。
Aくんの母親は藁にもすがる思いで、当時大きく宣伝されていた癌を撲滅するという高価な薬を、東京までAくんに買いに行かせた。
Aくんは部活と学校を休んで東京に行き、薬を買い、父親が入院する病室に届けた。
その薬を販売した業者はのちに、詐欺罪で捕まった。

翌日、部活に顔を出すと、先輩たちに注意された。
「親に頼まれて東京に行っていました」
父親の病気のことは言わず、そのように言った。
すると先輩は、

「嘘をつくな。どうして学校を休み、部活を休んでまで東京に行く必要がある」

と言ってAくんの言葉を信じなかった。
本当のことが言えなかったAくんは、唇をかみながら堪えた。

それが契機となったのか、Aくんの心のバランスが崩れたのかもしれない。
いろんな苦痛が押し寄せてきた。

高校の教師に我慢ができなくなってきた。
高圧的で、生徒の人権を平気で蹂躙する。
こんな奴らに教えてもらうことを我慢するなら、自分で勉強した方がいい。
Aくんはそう考えるようになった。

Aくんは、高校の担任に退学したい旨を伝えた。
いったん考え直すように言われたAくんは、翌朝、自宅の机に置き手紙をして家を出た。
父親の病気で翻弄されていた母親や、Aくんの行動に構うことはなかった。
親類の家に転がり込んだAくんは、高校を退学し、大学入学資格検定を受けて大学に行こうと考えた。

それから2ヶ月ほど、Aくんは高校を休み、もちろん部活にも行かず、悩みながら日々を過ごした。

厳格な父親は、病に冒されながらもAくんの行動を容認しなかった。
2ヶ月の「不登校」ののち、Aくんは高校に戻った。

それから数ヶ月後、Aくんが高校2年生の時、父親が亡くなった。

その後、Aくんはラグビー部を退部した。
朝は別の高校の友人と、喫茶店で過ごした。
いつまでも学校に馴染めなかった。

それでもAくんは国立大学に入学し、大学生活をスタートした。
だが、まともに大学には行かず、7年かかって卒業した。

Aくんのスクールライフ・ヒストリーから

ここまでのAくんのスクールライフ・ヒストリーを読んで、どう感じるだろう。
ひとつの感じ方として、「怠惰な」青年像が思い浮かぶかもしれない。

だが一方で、いくつかのキーワードに気づく」

「違和感」「馴染めない」「苦痛」

同調主義と同質性が重んじられてきた日本では、Aくんは「異端」だろう。

不登校になっている子供たちを、どこかで「異端」だと見ていないだろうか。
しかし、ただ単にその子供たちは、周囲が「当たり前」だとしている世界とは「別の世界」「別の生き方」が向いているだけなのかもしれない。

学校という社会が、多様性(diversity)を持たなければならない時代が来ている。
そして教師の専門性にもイノベーションが求められる。




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