「リアリティ・ショックの”リアル”とは何か」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.49
今日、2人の看護学生からとても貴重な話を聞いた。
そこには、「リアリティ・ショック」の若齢化、あるいは早期化を感じさせる実態があった。
この2人の看護学生は、ぼくが非常勤で週1回の授業を担当している大学病院の附属大学の学生で、2019年度の2人の学生だ。
彼女たちはとても聡明で行動力があり、ぼくのカンボジアの話にとてものめり込んでくれた。
途上国の医療に関心を持っていた2人は、カンボジア訪問にぼくのゼミ生と共に一緒に来て(2019年12月)、プノンペンの医療施設を訪問して学んだ。
その2人が、緊急事態宣言が開けて対面授業が始まったので、彼女らの大学に行っているぼくに会いに来てくれたのだった。
そして一緒にランチをとりながら、とても貴重な話をしてくれた。
看護実習の実態
まず「リアリティ・ショック」についてはよく知られたことだが、簡単に解説しておこう。
リアリティショックはKramer(1974)が、
「数年間の専門教育と訓練を受け,卒業後の実社会での実践準備ができていないと感じる新卒専門職者の現象,特定のショック反応である」
Kramer,1974
と定義付けた。
その後近年になり、高齢化社会や医療の高度化に伴い、新任看護師にとっての医療現場のハードルが高くなった様相も影響し、とくに看護領域におけるリアリティ・ショックに関する研究が散見されるようになった。
新任看護師が直面するリアリティ・ショックとは、どのようなものだろう。
それは一言で言うと、
「能力とのギャップからの不安感や危機感」
であるという論説がある。(谷口、2013)
しかし、この新任看護師のリアリティ・ショックは、実は看護学生時代からの学びの履歴が影響していると言う報告がある。
「調査の結果,新人看護師の多くは,看護学生時代に学際的な知識を学ぶことはできていたが,十分な臨床実習は受けられていなかったことがわかった。(略)
谷口、2013
学生は大学で学んだ知識を活かそうと真剣に実習に取り組むが,臨床現場ではハイリスクな患者が多いため学生によるケアは制限されることが多い。(略)
期待していた臨床実習への失意と,最低限のケア(患者とのコミュニケーションとバイタルの測定)しかできなかったことへの不満を感じていたことがわかった。また,忙しくしている先輩看護師に声を掛けることもできず,疎外感さえ感じていたようだ」
このような幾つかの論説によると、新任看護師のリアリティ・ショックはより高度なケアをしたいという、高尚とも言えるジレンマが生じていることが推察される。
だがここで注目するのは、最後の一節だ。
「忙しくしている先輩看護師に声を掛けることもできず,疎外感さえ感じていたようだ」
ぼくが2人の看護学生から聞いた話は、この部分に直結している。
2人はこんな話をしてくれた。
「実習生に、”あなたは看護師に向いていない”と言い、実習を継続できなくなった友達がいる」
「重い病気の患者は聞こえなかったり理解できないことをいいことに、その患者の悪態を言い、”わからないからいいのよ”と言う」
とてもストレスフルな医療現場の実態が垣間見えると共に、このような現実を見なければならない看護学生をかわいそうに思う。
彼女たちはこう言った。
「そんなこと言うのは、間違っているのではないですか、と言いたいけど言えません。だから、反面教師にして、こんな看護師にはならないと心で思っています」
本来であれば、リアリティ・ショックは次のステップへとつなぐ高尚なストレスであってほしいと思うのだが、実態は「幻滅」というリアルだった。
看護師や教師という、未来を創る職業につこうとする若い芽を育てる実習でなければならない。