事件・災害の教訓と学校教育① 「奈良県香芝市 小6女児連れ去り事件(2015年)」Ⅰ
今回から、ぼくが専門とする学校安全と安全教育について稿をたてて行こうと思う。
その柱となるのは、「教訓と教育」ということだ。
これまで犠牲になった命やその子が受けた恐怖は、教訓となって「その先の教育」「その先の命」へとつながれていくべきだが、大阪教育大学附属池田小学校事件(2001年)に関わってきたぼくとしては、そうは見えない。
悲しみと恐怖を忘れたい。
同時に、失われた命や恐怖はただの「不運」であってなならないと思う。
ぼくのような者(これを専門とする者)が、それをただの「不運」で終わらせないようにしなければならない。
このシリーズでは拙著「どうすれば子どもたちのいのちは守れるのか ー事件・災害の教訓に学ぶ学校安全と安全教育」(ミネルバ書房 2017年)に重なる部分も多く出てくるかもしれないが、現在の知見を交えてリニューアルしながら述べていきたい。
女児はなぜ連れ去られ、なぜ助かったのか
まず第1回目は、「助かった事件」を取り上げたい。
ちょうど6年前の今頃の話だ。
2015年7月5日。
この日は土曜日で、学校は休みだった。
親子で奈良県香芝市のリサイクルショップに買い物に来ていた女児は、店舗の外にあるトイレに1人で行ったところ、トイレで待ち伏せしていた犯人にバッグに詰められ、車で連れ去られた。
事件発生から23時間後、公開捜査の警察が路上の車にいた犯人とともにいた女児を保護した。
この事件には、教訓として学ぶべき要素がいくつかある。
それらの要素を、【犯罪機会】という視点で取り上げ、どうすれば防ぐことができたのかについて考えてみよう。
【犯罪機会】
① 事件は、学校が休みの土曜日の白昼に起きた。
② トイレは、人の目の行き届きにくいところに設置されていた。
③ 女児は1人でトイレに行った。
④ トイレの鍵が壊れていた。
① 事件は、学校が休みの土曜日の白昼に起きた。
事件発生当時、「学校が休みの日に発生した事件を、どう防ぐことができたのか」という論調があった。
2015年当時は(現在もそれほどそれほど変わりはないかもしれないが)、子供の安全は学校が担うものだという風潮があった。
現在は「学校の働き方改革」の中でも、登下校を含めた学校外の児童の安全については、学校や教師が担うものではなく、地域、保護者が担うべきものであるという指摘がされている。
しかし、このような視点でしか子供の安全を考えないから、事件は再発する。
このような視点とは、「だれが子供の安全を見守るのか」という役割論である。
役割はそれぞれ(保護者、地域、学校・教師)が、別の形で担っているはずである。
そしてそれぞれが希薄だから事件が発生する。
まず第一に、親が我が子の安全を守るのは、必要最低限の意識である。
日本は、その意識が希薄ではないだろうか。
これはけっして、被害にあった子供の親を責めるものではない。
たとえば、ぼくがよく訪れるカンボジアでは、学校の登下校については親が校門の中まで連れて入る。
それはなぜか。
「外は危ないから、親が子供を守る」
ただそれだけのことだ。
このことが当たり前であるという感覚が、日本では希薄になっている。
もはや、日本は安全な国ではないのかもしれないのだ。
次回は「② トイレは、人の目の行き届きにくいところに設置されていた」について考えていきたい。