附属池田小事件 20年〈その2〉 教訓は伝承されているか

どれくらいの教師が、この事件を知っているのだろう

20年目の6月8日
教師を目指す学生たちが
「祈りと誓いの塔」の前で献花し、手を合わせた。

20201年6月8日。ぼくはゼミの学生を大阪教育大学附属池田小学校に連れて行った。
2001年6月8日に起きた事件から20年目のこの日、「祈りと誓いの塔」の前で献花し、事件が発生した現場を歩き、校長室の遺影を見ることは、将来教師になった時の大きな糧になるからだ。
事件を知り、亡くなった子供たちの在りし日の笑顔を見て、その命を「祈り」、教師として子供の命を守ろうと「誓う」体験は、この先の教師としてもつ言葉が違ってくるだろう。

今日(2021年6月11日)早朝、ぼくが尊敬する滋賀県の小学校の先生からメッセージをいただいた。
6月8日の報道でぼくを思い出してくれたようで、「今年で定年です」と。
10年ほど前だろうか。筑波での中央教員研修で、1ヶ月間ともに学んだ先輩教師。40過ぎだったぼくは10年ほど先輩の先生方に、とても可愛がってもらい仲良くしてもらった。
全国には、こんなに優秀な教員がたくさんいるんだ、と改めて感じたひと月だった。
研修で学校安全等について発表などさせてもらったぼくを、研修終了後、各学校に戻ってから研修講師などで使ってくれた。
メッセージは、こんな言葉があった(先生、転載をお許しください)。


「(附属池田小事件から)20年経った今、現場の安全は守れるように変わったかと問われれば、全く、です。 何か起こらないと変わらない。 誰かが命を落とさない限り、自治体も動かない。無い袖振れない、でスルー。 教師の危機意識も、薄れている。 うちの学校の担任の、経験年数は平均すると10年。うっすらと事件を記憶している程度の教職員が多い中、いかに危機管理意識を維持していくか、私たち年長者の役割だと、あらためて気持ちを引き締めています。」

この言葉が実態ではないだろうか。
事件が残した教訓は、それを知ったもの、覚えているものが伝え続けるしかない。
だから、書き、話し、そして教師や学生たちに伝えて行きたいと思う。

次回は、シリーズ③として改めて「事件のその先」について話そうと思う。

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