教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか
「学校・教師のイノベーションへのいくつかの提言③ 〜オンデマンドから広がる個別最適な学びの可能性〜」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.80
前回No.79では、一斉授業の“とらわれ”について論考し、ハイブリッドに授業を展開する重要性について書いた。 もう少し、授業の形について考えてみよう。 3. 目を閉ざしてきた「知識・理解」の格差 〜オンデマンドによる可能 […]
「学校・教師のイノベーションへのいくつかの提言② 〜“一斉”という意味への着眼〜」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.79
前回No.78では、「1.授業を変える 〜発言力の育成はグローバルな生き方への第一歩〜」について書いた。今回も「授業のイノベーション」をテーマに考えてみよう。 2.一斉授業の慣習への“とらわれ”を捨てよう 新型コロナウイ […]
「学校・教師のイノベーションへのいくつかの提言① 〜発言力への着目〜」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.78
このシリーズ「教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか」は、今、ぼくの目の前にいる学生や、教師になった元ゼミ生たちを見ながら「教師という職業の価値」について再考しつつ、その憧れを取り戻す探究の旅だったと言えるだろう。 そ […]
「アジアの教師のスペシャリティー 〜教師が”聖職者”だった頃〜」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.77
前回(No.76)ではベトナムのダナン市にある小学校(Le Lai小学校)で聞いた話をもとに、アジアの教師事情について考えた。もう少し、ダナン市の教師事情について整理してみよう。 ダナン市の海沿いの小学校で ぼくたちは( […]
「アジアの教師のスペシャリティー 〜ベトナムの教師と学生〜」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.76
前回、前々回はアメリカの校長、中国の教師のスペシャリティーについて見てきた。今の日本の教師や教員養成の状況について思いを馳せたとき、以前訪れた発展途上国の教師や教師を目指す学生の姿を思い出した。 それはとても清廉で、心に […]
「アジアの教師のスペシャリティー 〜中国の教師〜」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.75
前回No.74では、教師と言う職業のスペシャリティーについて考える上で、アメリカのある校長の例について書いた。 今回は、アジアの教師について見てみよう。そこには、どのようなスペシャリティーがあるのだろう。 中国の教師のス […]
「校長のスペシャリティーとは」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.74
「憧れ」を取り戻すための教師のスペシャリティーとは何か。それはどのようなものなのか。続けて探究していこう。 スペシャリティーのある職業 例えば、「憧れ」とスペシャリティーがリンクしている職業と言われると、何が思い浮かぶだ […]
「“憧れ”を取り戻すための、教師のスペシャリティー」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.73
本シリーズ「教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか」では、その要因を探究しながら、これまでに72のエピソードを語ってきた。 このシリーズも、いよいよ終わりが近づいてきた。教師が「憧れ」を取り戻すための探究を始めよう。 […]
「学校教育のいくつかのレビュー③〜学級通信のトランジション〜」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.72
日本の教師の「多忙感」については、ブログの本シリーズの中でもTALIS2013〜2018を取り上げながら述べてきたところだ(No.19~22,33,48など)。 多忙感を解消する方法として、これまでの学校現場のスタンダー […]
「学校教育のいくつかのレビュー② 〜給食指導の矛盾〜」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.71
前回No.70から、これまでの学校教育におけるスタンダードをレビューする試みをしている。前回は教員採用試験における各自治体の「営業努力」の必要性について述べた。 今回は、学校教育現場の中にある一幕に目を向けてみよう。 給 […]