「教育実習の制度と意義」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.39

「教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか」という命題をに対するひとつの道筋として、教師を志す学生に焦点を当て、何を学んだか、またそこで何を感じたのかを探究していくことは重要な試みだろう。

前回、教育実習は学生にとって、教師の資質や自身の人生を歩む「試金石」になる一方で、学校や教育全体にとって、学生の夢を育むか、彼らを手放してしまうかの「分水嶺」にもなると述べた。

ではまず、教育実習の制度と意義について整理していこう。

教育実習の制度と意義

教育実習とは、正確には教員免許状を取得するために必要なものであり、教育職員免許法施行規則第6条および第7条の規定によって定められているものだ。
その、法的に整備された意味合いとは別の角度から教育実習の意義を捉えたとき、ひとつは、教員養成段階における実践的指導力の育成が挙げられる。
近年では、教職志望の学生がボランティア活動の一環として教育現場に出向く方法なども取り入れられ、教員養成の段階で学生が教育実践現場に触れる機会は充実し、また多様化している。
しかしながら、それはあくまでも学校支援的なボランティア活動であり、教育現場に対する責任、あるいは担う役割の大きさにおいて、教育実習はその比ではないだろう。
それでも、ボランティアだろうが教育実習だろうが、子どもたちは学生を「先生」と呼ぶ。

ボランティアに行っている学生から、よくこんな相談を受ける。

子どもたちが喧嘩していて、そこに担任の先生がいない時、どうしたらいいのですか。

これは大学で、極力責任を負わないように指導されているからそのような躊躇が生じるのだろう。
もちろんケースバイケースだが、危険を伴いそうであれば迷わず止めるべきだし、止めながら他の子どもに担任を呼びにいかせるなど、いろんな方法がある。

ボランティアでも多くの実践的な学びがあるが、やはり教育実習の意義のひとつには、学級経営に参画し、指導案を作成して授業を計画、実践する機会は、教育実習をおいて他にはないということだろう。

また、教員になるという夢を醸成し、息の長い、教師であり続けることができる素地を養う場としての、教育実習の意義である。
しかしこれは、「試金石」と称したように、逆に教職を諦める場にもなりうる。
教育現場における子どもたちの、実習生を見る目に何の容赦もなく、その場では子どもたちにとっては「先生」だ。
ぼくはこれまで、国立大学附属小学校での勤務において、教生指導部長という立場で、9年間で1000人近くの教育実習生と関わってきた。
4週間の基本実習の中では、子どもたちと直接的に関わり、教壇に立って45分という時間を任される。
その中で、子どもたちの学びを高める責任と、子どもたちの期待を込めた眼差しを受け止めながら、教師という職業に対する見識と意識を高め、夢を醸成する学生も多くいた。
だが逆に、自信を失い、夢を諦める学生も多く目にしてきた。
酷なようだが、夢を諦めて将来の道筋を変える瞬間は、子どもたちが何の悪意もなく与えてくれる。

教育実習で教壇に立ち、授業を任されることは大きな学びになる。

では一方で、大学の教育実習に関わる事前事後指導を含めた取り組みは、実習生の夢を左右するほどの質を、保障することができているのだろうか。
またあるいは、実習生を受け入れる側の学校は、実習生の夢を育む体制と制度は整っているのだろうか。

次回は教育実習の体制について論考したい。

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