「教師への憧れと教育実習」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.38
本シリーズ「教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか」は、これまでにNo.37まで書いてきた。
ここで、これまでの展開をチャプターしてみると、以下のようになる。
序章:「教師像の変化」 No.1~No.5
第1章:「コロナ禍の新任教師たち」 No.6~No.10
第2章:「教師と社会」 No.11~No.18
第3章:「国際調査と日本の教師像」 No.19~No.25
第4章:「新任教師とベテラン教師」 No.26~No.37
この先の展開としてぼくが探究していきたいと思っているトピックは、「教育実習」「海外の教師と日本の教師」「昔の教師と今の教師」「コロナ禍における学校と教師」などがある。
これらを探究していくことによって、「憧れの教師像」は何だったのか、それを取り戻す要素は何なのかが見えてくるかもしれない。
そこでまず、「教育実習」について書いていこう。
教育実習は試金石であり分水嶺でもある
ぼくは以前にこのブログでも書いたと思うが、教育実習が人生のターニング・ポイントになった。
単位取得のためにいやいや、仕方なく行った教育実習で、「憧れる教師」に出会った。
ぼくは、とても幸せな教育実習に恵まれたと言えるだろう。
教育実習は「教師の資質」を見極める試金石であると言える。
教育実習で「教師になることは無理だ」「自分には向いていない」と気づく学生もいる。
あるいは、自分では気づいていなかった資質を発見し、教師になりたいと思う学生もいる。
このことに気づくことも重要だ。
だがその一方で、教育実習は将来の教師を手放さないようにする必要がある「分水嶺」でもある。
というのも、教育実習に行き、輝くような夢を持っていた学生が「そうでもない(輝いていない)」現実を見て幻滅し、教師になることを辞めてしまう例も多くあるからだ。
このブログの第4章で紹介した「サキ」がそうだった。
教育実習先で見たサキは、輝きを失っていた。
そして、
「学校って、教師ってもっと輝いてると思ってた。
こんなところで、自分の人生を送りたくない」
と言ったものだった。
ぼくは今、あまり学生を教育現場に送りたくない。
そこで幻滅するのではなく、輝くような希望を持って教師になり、そして現実をしり、それを乗り越えていけばいいと思う。
教師になる前に幻滅する必要がないと思っている。
現場での研修、実習で実践力を身につける、というが、実践力は現場で培っていけばいい。
その「夢」や「憧れ」を、そっと育んであげたいと思うのだが。
次回から、教育実習の実態、課題について論考していこう。
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