「年功序列の弊害」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.36

年功序列と経験主義と、給与

前回、教師の世界は「経験がものをいう世界」という見解を示した。
実際に、教師の世界は完全なる「年功序列」だ。
ぼくは若かりし頃、おそらくとてもエネルギッシュで尖っていたころだろう。
自分より年齢が上だが子供にも人気がなく、授業も(ぼくから見て)下手で、ぼくが作った授業資料を「学年は揃えないとダメだから」と言って平気でパクるベテラン教師が、ぼくより「給与が上」であり、その教師の給与を一生乗り越えることができないことに我慢ができなかった。

だからぼくは、「公務員」であることに魅力どころか、弊害しか感じていなかった。
教師は「能力給」になればいいと、本気で思っていたし語っていた。
そしてぼくは、

「45歳になったら小学校の教師は辞める」

と公言していた。
理由はいろいろあるが、この頃から年功序列に対抗していたのだろう。

「小学校の教師は、全力疾走して6年生の子供に勝てないのなら、辞めるべきだ」

というわけのわからないことを言っていた。
言い方は馬鹿みたいだが、要するに、子供と全力で遊び、走り、学べなくなったらエネルギッシュな若手に時代を譲るべきだ、と、若いぼくはベテラン教師に言いたかったのだろう。

そして偶然にも、45歳で小学校教師を辞めて大学教員になった。
言っているうちに、そのような人生を歩もうとしていたのだろう。

そしてぼくは、「公務員」を辞め、「実力の世界」と思っていた私立の大学の世界に足を踏み入れた。
しかし残念ながら、「経験主義」と「年功序列」はここも同じようなものだった。

日本の教育に関わる根幹は、全てが同じ根を持っているようだ。
イノベーションは程遠いだろう。

だが、この世界に生き、この世界をより良くするために研究者として生きているのだから、諦めずに探究していこう。

ところで、これまで新任教師の実態について述べてきたが、ベテラン教師や校長の「指導」に苦しむ姿が見られてきた。

ぼくは今回の「教師はなぜ・・・」シリーズの執筆に際して、十数名の新任教師にアンケート調査を実施したが、「うまくいっていない」新任教師ばかりではない。

なかには、何の不安、不満もなく新任教師としての日々を送っているものもいる。

ぼくが「教師ってブラックだ、と思う瞬間がありますか」という問いを投げかけたとき、こんな答えが返ってきた。

「校長先生に呼び出されて、漢字辞典や国語辞典、持ってる?」
と聞かれたので、
「持ってません」
と答えたら、
「これから使うだろうし、プレゼントするよ」
と言われて、それから1年以上過ぎました。

とか、

パソコンを充電していたら、知らないうちに抜かれて先輩教師のiPhonの電源が差されていた。

なんていう、吹き出してしまう回答もあった。

幸せな新任教師を送っているのだろう。

このような、ある種平和な回答の新任教師は、その回答の冒頭には同じ文言が並ぶ。

「人間関係に恵まれているので」
「職員室がいい雰囲気なので」

新任教師にとっては、「職員室」が大きな意味を持つのだろうか。
だがそれは、関係性、雰囲気、という感覚的で直感的な要素が主となっている。

ここまで、ぼくのそばにいた新任教員の言葉から、学校教育、新任教師の実態を追究してきた。
そこには実態的で実践的で、そして現実的な発信があったが、一方でぼくの身近にいたという「主観」が大いに作用しているだろう。
ここで、アプローチを少し論理的に追究する試みに転じてみよう。

韓国ファッション通販サイト【DREAM WEAR】

Follow me!