「教師の自主性、専門性はどこにあるのか?」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.34

教師の世界が「ぬるい」と感じ、自分自身の中の「熱さ」を失ったように感じた新任教師のミヅキは、(教師を辞めようかな)という思いがよぎるようになった。
その後、コロナ禍の学校における新任教師としての日々の中で、「指導」を受ける場面が続く。
その指導は、新任教師の学びになっていったのか。

出身大学で新任教師を見る校長

新任教師のミヅキを紹介するとき、希望する国立大学には合格できず、私立の大学に入学したことについて紹介した。
ミヅキが入学した大学の教育学部、要するにぼくが勤める大学の教育学部は、国立の教育大学に比べて偏差値は相当低いというのが実情だ。
ぼくは国立大学の附属小学校で、9年間で1000人近くの教育実習生と関わってきたので、その学生たち(O大学としよう)と現在勤める、そしてミヅキが卒業した大学の学生(N大学としよう)を比べて言うと、「総じて」言うと学力的には相当開きがあることは否めない。
しかしぼくの実感として、N大学にもO大学の学生にひけを取らない学力、知性を持った学生はいるし、教師になる資質で言えば、割合で言うとどっこいどっこいではないか。
N大学の学生で、教師を志す学生は「おもしろい」学生が多い。
可能性を秘めている。
ミヅキは、そんな学生だった。

そのミヅキを、新任教師として勤めている学校の校長が、あろうことか

「あなたは知力がない」

「語彙力がない」

と言うそうだ。

もしミヅキがO大学出身であれば、この校長はそのようには言わないのではないか。
最初から、出身大学を見て物を言っているのではないか。
この校長こそ、まさに

「知力がない」

職員室で校長に「知力がない」と言われるミヅキは、周りの教師に「イジられ」ることもあった。
なにかわからないことがあって先輩教師に質問したとき、笑いながら

「だから知力がないって言われるんだ」

と揶揄された。

このときミヅキは、そう言った先輩教師に対して

(教師として、人としてどうなんだろう)

と感じたという。

しかし、ミヅキにとっては出身大学がコンプレックスになった。

そんな校長から、1年間怒られ続けた。
ミヅキはこのとき、インタビューの中で「指導された」とは言わなかった。
「怒られ続けた」と表現した。

あるとき、担任するクラスの子どもが友達と喧嘩し、相手の首に引っ掻き傷を作った。


余談だが、このような事案が発生したとき、なぜか担任の管理不行き届き的な評価の風潮がある。
子供なんて、たくさん喧嘩するし怪我もする。
そのすべてを担任が管理することなんてできないし、そんな必要もない。
「何も起こらない」学校、学級が礼賛される風潮が、「同調」主義の学校社会、一般社会を生んできた。
そして「変わった」子どもが疎まれる。

ミヅキは、怪我をした子どもの保護者に事情を説明するために、ともかく家庭を訪れた。
ぼくはこのようなとき、まずは電話で十分だろうと思うのだが、「ともかく行くこと」と教えられ、ミヅキの中に刷り込まれていた。
そして何よりも、「あとで校長に怒られない対応」をしようとしていたのかもしれない。
この日、「とにかく忙しかった」というミヅキは、担任する学年の主任に端的に事情を説明し、ともかく家庭訪問をした。

保護者がいなかったため、子どもに
「また来るね」
と言って帰ろうとした。

そのとき、ミヅキの脳裏に校長の「指導」がよぎった。

(保護者がいなければ、帰ってくるまで家の前で待て、と言われた気がする)

ここで学校に戻ったら、「また怒られると思った」

学校に電話して、家の前で待つことを伝えた。
すると学年主任が帰って来るように言い、ミヅキは学校に帰った。

そして校長に「怒られた」。

そのときの「指導」はこうだ。

「なぜ、教頭や校長に、子どもの喧嘩のことを報告せずに家庭訪問に行ったのか」

「ほうれんそう」(報告・連絡・相談)を日本の学校の管理職はものすごく重視する。
これは自論だが、それは管理職が「知らないこと」を極端に恐れていることと、教師の自主性や専門性が認められていないからだろう。

ぼくは小学校教師時代、ほうれんそうは無視して超自主でやっていたから相当疎んじられた。
海外では、教師に自主性と専門性が認められているから、責任が重いかわりに報酬が高い。
それがプロフェッショナルではないだろうか。
だから憧れの職業になる(あくまで自論)。

そして管理職はこう言った。

「なぜ付箋を持っていかなかったのか」

この指導には、ぼくには笑いぐらいしか生じない。
「付箋」の指導とは、

「訪問した証拠に玄関やポストにメッセージを書いた付箋を貼ってこい」

という指導だ。

ばかばかしいからここでは議論しない。

ミヅキは言う。

「管理職は保護者対応が第一」
「校長先生、一生なりたくない教師像」


ベテランが新しい豊かな芽を育てることができない。
教師の世界にイノベーションが起こりにくい実態がここにもある。

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