「多忙はマイナスなのか?」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.33
ここまで、新任教師のミヅキのパーソナリティーについて、小学校時代のいじめ体験や、大学での様子について紹介してきた。
そして教師になったミヅキは、学校や教師と言う職業について、何を見て、何を感じてきているだろう。
教師という職業が「ぬるく」見えてしまう
振りかえってみると、ぼくはこのシリーズ「教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか」で一度ミヅキを登場させている。それは、2021年7月2日に投稿している。
(コロナ禍の新任教師たち③ 「濃い霧の中、教師としての自信を作り出せずにいた」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.8)
そこで、
「私たち、このままだと来年の新任と同じくらいの能力ですよね」
とLINEをしてきたことを紹介した。
この言葉は、ミヅキが新任教師として小学校に着任してまもなく、2020年4月15日のことだった。
そう、2019年末から世界中に蔓延している新型コロナウイルスによって、日本では全国一斉休校要請が発出されていたさなかの新任だった。
このままでは経験を積むことができないという焦りがあったのだろう。
担任する予定の子どもたちとも会うことができないまま、日々が過ぎていった。
子どもがいない学校では、さまざまな研修が行われた。その一つ、アレルギー対応の研修のときだった。
養護教諭はミヅキと同じ新任教師と、ベテランの養護教諭の2名体制だった。
その日は、エピペン(アナフィラキシー症状を緩和する注射薬)の使い方に関する研修で、全員にエピペンを配布して行われた。
そのエピペンを配布するとき、ベテランの養護教諭が全員に配布した。
そして研修後、新任の養護教諭が校長に呼び出され、泣くまで叱られたという。
「なぜ新任なのにエピペンを取りに行って配らなかった」
職員室で泣いている新任の養護教諭を、先輩教師たちが囲んで慰めていた。
「大丈夫?」
ここでミヅキは、(ぬるい世界だ)と感じたそうだ。
慰めることは成長に結びつかないのに。と。
そこでミヅキは、何か目標というものを見失っていた。
(こんな感じでいけるのか)
(こんな感じで通用する世界なんだ)
突然、熱い気持ちが失われていくのを感じた。
カンボジア研修の時の自分自身を思い出していた。
そこには、学ぶことに「熱く」なっている自分がいた。今、あの時のような熱い向上心を持った自分がいない。
このまま、ぬるい中でそれでいいと思って生きていく自分が嫌だった。
(教師、やめようかな)
と、そのとき思ったという。
「教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか」というテーマに、このミヅキの心情が一つのヒントを与えてくれそうだ。
かつて「熱血教師」と言う言葉があった。
自身の生活も顧みず、ただひたすら教育のために、子どもたちのために心血を注いで生きていく。
金八先生のような。
しかし現在は、教師の「多忙」はマイナス要因として取り上げられる。
できる限り教師の業務が減じられるように、登下校や安全パトロールなど、子どもたちの「命」を守ことから遠ざかっていく。
そうして、教師という職業の「熱さ」が失われていっている可能性もあるのではないか。
果たして、教師の「多忙」はマイナスなのだろうか。
「忙しいけどやりがいのある」職業なのではないだろうか。
だから、日本の教師は世界一忙しいが、世界一給料が高ければいいのにと思うのだが。