「子供の前で否定され、授業を交代された。これは指導なのか?」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.27

前回の記事の最後。

しばらく連絡もなかったが、就職して3ヶ月ほど経った頃だろうか、サキから電話がかかってきた。
表向きは、国語の授業作りの相談だった。
しかし、ぽつりぽつりと、それまでの3ヶ月の教師生活と、現状について話し始めた。

そこには、サキに対するベテラン教師による、理解し難い「指導」の話があった。

ここから話を進めよう。

指導が「耳に入らなくなっていった」という状態に

そのベテラン教師は国語の指導教諭ということだった。
定年退職後、さらに任期付きで小学校に残っていた。


よくあるパターンだが、この制度もどうかとおもう。
もちろん、人手不足やベテランの価値はあるが、「経験」にものを言わせて我が物顔で蔓延るものもいる。
あっさりと気持ちよく去った方が、若手は育つ。
サキの目の前にいる教師も、その類だった。

その学校ではなぜか、国語の授業はそのベテラン教師に一度「お伺い」を立てる風習があった。
そして授業の流れや教材の「読み取り」について、指導を仰ぐのが習慣化されていたそうだ。

サキの印象は、4月当初から「キツい人だな」というものだった。

新任のサキにとっては、国語の授業も当然初めてだった。
だからサキだけは、授業後も指導を仰ぐという流れになっていた。

何を言われても知らないことだらけだから、「なるほど、そうなのか」と、初めのうちは真剣に聞いていた。

授業前に指導されたことを、ともかくそのままやった。
それが正しいから、とか納得していたからではなかった。
いつの間にか、「後で叱られるのが嫌だから」、言われた通りの授業をするようになっていた。

ところが授業後の指導では、そうではない、ああではない、と全てを否定された。

その状況が毎日続き、サキの耳には「何も入らない」状況になっていった。

これは明らかに病的で、そのストレスから自身を逃がそうとする防衛本能が働いていた状況だったのではないか。

そして決定的な出来事が起きた。

「変わりなさい!」と授業を取り上げたベテラン教師

初年度の1学期が終わろうとしているころだった。
サキがいつものようにベテラン教師から指導を仰ぎ、「その通りに」授業を進めている時だった。
しばらく前から、ベテラン教師はサキの教室で、授業をずっと見るようになっていた。

授業の途中で、教室に怒声が響いた。

そのベテラン教師は、いきなり教壇までやってきて言った。

「変わりなさい!」

そして子供たちの方を向いてこういった。

「この先生、何もわかってないからね!」

その日から、授業中にベテラン教師が割って入り、いつの間にか交代させられることが日常的になった。

サキの心は、少しずつ蝕まれていった。

授業について聞きにいくことが嫌で、ベテラン教師を避けるようになっていた。
しかし、あるとき廊下で出会ってしまった。
すると、ベテラン教師はサキにこう言った。

「あんな授業をずっと続けるつもりなんだな」

そう言われ、サキの負けず嫌い根性が目覚めた。
職員室で指導をお願いした。
すると、職員室で、多くの同僚がいる前で大声で怒鳴れる毎日が始まった。
サキは毎回、泣きながら指導を受けていたという。

この話は次回に続き、サキがこの学校でどうなったのかを記すが、ただ胸が痛む。
まずこの時点で、誰かサキを助けなかったのか。
このような状況の時、サキはよくぼくに連絡をくれた。
ただ、状況を話してくれた。
ぼくはそのたびに頭にきて(ベテラン教師や学校に)、何度もサキに「学校に行って校長か理事長と話すから」と言ったものだ。
そのたびにサキは気弱く笑いながら、

「先生、大丈夫。来なくていいから。自分でなんとかするから」

と言った。

もちろん、授業は下手だったのだろう。
むしろ定年を過ぎた教師が新任より授業が下手だったらお笑いだ。
経験で若者をこき下ろす指導は、指導と言えるのだろうか。
この指導の結果、その学校でサキが大きく成長したのなら、一つの指導方法として認めよう。
だが、全くそうではなかった。

(次回へと続く)

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