「同調圧力」と大学生の人生について①
ここまでぼくのブログでは、「教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか」(No.18 現在進行中)や、「災害時における教師のノブレス・オブリージュ」(No.21でいったん完結)を中心に展開してきた。
次にどのようなシリーズで展開しようか迷っているところだが、ここで閑話休題ではないが、大切なエピソードをいくつか紹介したいと思う。
教師になると偽るしかなかった学生
ぼくのゼミには例年、教師を志望する学生がよく集まる。
そして、みんなカンボジア研修に行きたがるし、
そしてよく教員採用試験に合格する。
そして、ぼくは採用試験に関しては大して面倒を見ていない。
みんな「自立して」勉強し、突破を目指す。
これまでに何度か学長と話す中で、こんなやりとりがあった。
事実だから書いておこう。
「キミのゼミは一番多く採用試験の合格者を出しているらしいね」
この時点ではお褒めの言葉だ。
次にお話ししたとき、
「どのゼミが多く合格者を出しているか、データを出してほしいと依頼しているが、出てこない。ということは、出したくない理由があるんだろう」
少しほくそ笑みながら、そう言われた。
さもありなん、と思った。
その次、驚いた。
「キミのゼミが一番多く合格者を出していることが分かったが、それについて、キミのゼミは早くから優秀な学生を取り込んでいるからだ、と言われているよ」
バカバカしくて絶句した。
そんなことを学長に、わざわざ言う人間の浅さ。
一応、否定はしておいた。
学生がゼミを選ぶ段階で、おいでよなんて言ったことはない、と。
それから、ぼくのゼミにはたまたま面白い学生が集まるんです、と。
そんなことを学長の耳に囁いている人間なんてすぐにわかる。
相手にもしない。
少し愚痴になったが、話を戻そう。
そんな「優秀な」ぼくのゼミの学生は、ほぼみんな教師を目指して教員採用試験にチャレンジする。
その中で、Nは悩んでいたのだろう。
彼はカンボジア研修に参加し、世界の広さを知った。
そして留学支援制度に採択され、3回生の冬、オーストラリアに2ヶ月滞在した。
帰ってきた彼は、ぼくに打ち明けた。
「教師になることを悩んでいます。自身で起業したい」
そのときのぼくは、彼という人間を尊重し、信じて見てあげることができていなかったのだろう。
彼の相談、あるいは告白に対して言下に否定し、どのような勝算があるのか話してみろ、と言った。
彼は言葉を濁し、俯き、採用試験を受けます、と言った。
ぼくが勤務する大学の学部は、いかに教員採用試験の合格者数を増やすか、が命題となっている。
勤め始めた頃、そこに違和感をもち、「大学ではなく専門学校のようだ」と会議で発言してしまったこともある。
だから、一般企業に就職することを希望する学生や、進路変更する学生は肩身が狭いようだ。
これが、「同調圧力」だ。
文科省が今更、令和の日本型教育の指針の中で、日本はこれまで、周りと同じことを同じようにこなすことが良いとされてきたことに言及し、だから個性が伸長されてこなかったといったコメントを記述した。
ぼく自身も、大学が作り出す「同調圧力」の権化になっているのか。
その後のNとのやりとりの中で、ぼくはいろんなことに気づかされていった。
次回へと続く。
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