災害時における教師たちのノブレス・オブリージュ ~そこにある「使命感」と「多忙感」~ 19 熊本地震と阿蘇の学生たち①

ここからは、熊本地震に関連する教師の活動とは少し離れるが、ぼくが出会った阿蘇の学生たちの話をしたい。
これは、2016年12月に7名の研究グループ(ぼくと岡村先生を含んで)で熊本地震に関連する調査に赴いた時の話だ。
そのとき、思いがけず東海大学の阿蘇キャンパス(現在、旧1号館は震災ミュージアム)を訪問することができた。

ここでぼくたちが目の当たりにし、そして東海大学の学生たちから聞いた話、その思いはとても貴重で、忘れがたい。
それをここに記しておこうと思う。

東海大学 阿蘇キャンパスと熊本地震

ここは、熊本地震の悲惨な状況のひとつの典型的なモデルとして、幾度もメディアに紹介された。
その映像は、1階部分が倒壊したアパートの下に、まだ学生が取り残されている状況という、衝撃的なものだった。

黒川地区の入り口には、アパートの場所を示す看板が設置されていた。

東海大学阿蘇キャンパスは当時、農学部があり、多くの学生がそこで学んでいた。
風光明媚で自然に溢れ、実習が重要な農学部にはとても適したキャンパスだった。
多くの学生が全国から集まっていたため、学生たちはそれぞれアパートで下宿した。
阿蘇キャンパスからほど近い「黒川地区」には、10数軒の学生アパートが建てられており、およそ800人の学生たちがそこで暮らした。
学生たち同士、そしてアパートの大家さんは「家族」のようだった。

学生たちと家族、そして学ぶ場を引き裂いた地震

隆起し、ズレた畦道。
断層が通っていることがはっきりとわかった。

2016年4月16日の夜、熊本で最大震度7を記録した大きな地震は、学生たちが暮らす南阿蘇村をも襲った。
東海大学阿蘇キャンパスの近辺に、大きな断層が通っていたのだ。
この地震で、多くの学生アパートは倒壊し、県境を結ぶ阿蘇大橋は18日深夜の本震で崩落。
およそ1000人の東海大学生は南阿蘇村に孤立した状態になった。

そして、若き学生たちの中で4人が震災の犠牲となり、命を失ったのだ。
あるいは命は失わなかったが、倒壊したアパートからどうにか助け出されたものの、大切な体の一部を失って生きる学生もいた。

多くのアパートが倒壊し、
学生たちは多くのものを失った。

命が助かった学生たちも、多くのものを失っていた。
それは、学びの場だった。
激しく損傷した東海大学阿蘇キャンパスだったが、東海大学は早くから、キャンパスの再建はせずに阿蘇キャンパスは閉ざし、学生は熊本キャンパスに学びの場を移すように指針を出した。
それは、企業、あるいは組織としてはおそらく当然であり、真っ当な判断だっただろう。
それでなくとも、東海大学は札幌から熊本まで複数のキャンパスを擁するマンモス大学だ。
莫大な費用をかけて阿蘇キャンパスを再建する価値については、それは低いと判断したのだろう。

阿蘇キャンパスの閉鎖が発表され、衝撃を受けたのは学生たちだけではなかった。

阿蘇キャンパスの閉鎖は、学生村の消失を意味する。
学生たちが「家族」とともに暮らしてき、そして「親」のように慕ってきたアパートの大家たちは、アパートの再建を諦めざるを得なかった。

学生たちは震災で、一度に「住処」「家族」「学びの場」を失ったのだった。

しかしぼくたちは、諦めていない学生たちに出会った。

(次回へと続く)



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