災害時における教師たちのノブレス・オブリージュ ~そこにある「使命感」と「多忙感」~ 17 被災地の教師へのインタビュー①

被災地の教師の実態

ぼくたち(松井・岡村先生)の本シリーズに関連する研究「災害時における教師の『使命感』と『多忙感』に関する研究」では、2016年4月に発生した熊本地震に関連して、2016年9月からこれまで、幾度もの視察、訪問を行ってきた。
研究では、震災後1年の2017年4月に74項目からなる質問紙調査を実施した。
調査対象は「熊本群」(広安西小学校の教師)と「一般群」(大阪府の教師等)で行い、それらを比較検討することが目的だった。
結果から言うと、意外なことがわかった。
被災地の運営に奔走した「熊本群」の教師は、「一般群」に比して自身の存在価値や意欲が低かったのだ。
このことを、あくまでも端的に解釈すると、熊本の教師はその時、一般群の教師たちに比べて「疲れている」ことが分かったのだ。
この研究について、もし関心を持たれる方がいれば、ぼくたちの研究論文を読んで頂けたらと思う。(災害時における教師の職業的役割 -「使命感」と「多忙感」に着目して- 日本教師学学会誌「教師学研究」第21巻 第2号PP.13-21 2018年9月)

そしてこの研究の結果は、震災における教師のケアの必要性を示唆している。

校長先生が学校の倒壊した箇所などを案内してくれた。

一方でぼくたちは、熊本県を訪れるたびに各小中学校の管理職を対象としてインタビューを行ってきた。
それらは非構造化インタビューであり、何らかの情報が得られれば良いという形で、あるいはインフォーマントとの関係性を築くことを半ば目的としながら実施してきたといえる。
したがって、明確な問いに対して明確な回答を求めてきたのではなく、ぼくたちが震災のことを、そしてそこに関わる教師たちの内面的なものを知りたかったというのが率直なところだ。
そのような中、熊本へ調査研究に訪れてから半年ほど経つ中で、ぼくたちと被災地の教師たちとの間に信頼関係が築かれてきたという実感があった。


そこで、教師たちへの半構造化インタビューを実施することにしたのである。
熊本県を初めて訪れてから、8か月が経っていた。

被災地の教師へのインタビューについて

震災後、全国から集まった多くのボランティアが学校を助けてきた。

インタビューは、熊本県益城町立H小学校の教員6名を対象に、延べ200分かけて行われた。
インタビュー内容についてだが、ぼくたちが明らかにしたかったのは、災害時における教師の『使命感』と『多忙感』の関連についてである。
したがって、すべての質問(14項目)はそこに起因したものとなっている。
たとえば、「2.地震発生時に関する質問」では、「地震が収まった後、どのような行動をとりましたか」という項目がある。
この項目は、それまでの管理職への聞き取り、あるいは対話から、地震発生後すぐに学校に駆けつけ、避難所運営に関わった教師と、駆け付けることができなかった教師がいたことがわかっていた。
駆け付けることができなかった教師は、重度の被災(自宅の損壊や家族のケアなど)が原因であったにも関わらず、「学校に来ることができず、何もできなかった自分」に悲観する様子が見られたという。
それは教師の「使命感」に関連する様相であると考えられ、質問項目とした。
また、「3.避難所運営に関する質問(教師としての立場で)」では、(避難所運営に関わって)大変だったこと、嬉しかったこと、不満に感じていたことの3項目を立てた。
これは、先の研究(たとえば阪神淡路大震災に関する)で、避難所運営と教師、そして自らも被災者であるという重層的立場の苦悩について、本シリーズでも述べてきた。
その苦悩は、避難所運営という、災害時における教師の「多忙感」と「使命感」の関連を示唆すると考えた。

そしてこのインタビューでは、本研究でこれまで調査することがなかった「5.ストレス・マネジメント」についての項目を入れた。
災害時における教師のストレスについては、「被災者としてのストレス」と「教師として(あるいは避難所関連)のストレス」に大別して考える必要があるだろう。
というのも、そもそも「被災者としてのストレス」は、過去の震災における報告からも明らかだ。
それに加えて、教師としての職業的特性によるストレス、地震災害という統制できない状況が生み出すストレスなど、複合的な要因があると考えてしかるべきである。
ここでは、それら複合的な要因を踏まえた上で、6名の教師がどのようなストレスを感じていたのか、「震災後からこれまで、自身は心身ともに健康に過ごすことはできましたか」という質問への回答について検討した。
次回に報告したい。

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