災害時における教師たちのノブレス・オブリージュ ~そこにある「使命感」と「多忙感」~ 16 被災地を訪れた学生たち③ 〜支援者の姿勢とは〜
「被災地を訪れた学生たち②」の続き。
生々しい地震災害の跡に
熊本県、益城町立広安西小学校を訪問し、体験的学修を展開している学生たちは、地震災害により危険箇所の登校安全補助をした後、小学校に戻ってきた。
ただ、学生たちは真っ直ぐには戻ってこなかった。
全ての子供たちが担当するポイントを通り終えたことを確認した学生たちは、そのまま周辺の様子、光景に改めて目を向け、黙り込んで観察した。
どの顔も、驚きに満ちていた。
倒壊したブロック塀や歩道、玄関に貼られた「全壊」を示す赤い紙に見入り、写真を撮るなどしていた。
地震災害がもたらし、半年経ったその時でも、生々しい被災を実感している様子だった。
小学校に帰ってきた学生たちは、朝礼で井手校長先生のスピーチの中で全校の子供たちに紹介していただき、その後、今回の体験的学修のメインⅡである、井手校長先生との対談のため、校長室に入らせていただいた。
支援する側の気持ちについて
震災直後の教師の動きや、大臣制の工夫のお話(本シリーズの記事を参照)など、たくさんのお話の中で、とても印象に残っているシーンがある。
井手先生が、こんな話を学生たちにした。
「避難者のみなさんが、炊き出しで夕食を終えた後でした。支援者の方が小学校に来られて、みなさんで食べてください、と言っておにぎりを100個くれたんです。
みなさんなら、どうしますか?」
学生たちは沈黙し、考えている様子だ。
ここで自分なりの考えを言うことには、確かにちょっとした勇気がいる。
すると、1人の女子学生が発言した。
「いただいて、配ると思います」
正直に言うと、ぼくはにはそれが正解なのか、井手先生はどうしたのか、まったくわからなかった。
このような時、それが正解なのかどうか、とてもセンシティブになる場面だろう。
今思うと、井手先生は学生のいろんな答えに対して、それぞれの「正解」を準備していたのではないだろうか。
そして井手先生は、学生のこの回答に対してすぐにこう言われた。
「えらいね」
そして続いた話が印象的で、そこに学びが凝縮された。
「でも、行政が断った。
もらうべきだった。
例え10個でも。
それが、支援を申し出てくれた人への気持ちです」
被災した人々の気持ちを慮り、よりよく行動しようとすることは理解できるだろう。
しかし、支援する人の「気持ち」を大切にするからこそ、被災者と支援者の関係性が成り立ち、支援と復興への道ができる。
先の本シリーズで、阪神・淡路大震災において支援する教師と被災者のやりとりを紹介した。
支援する教師に、それをしながらも給料はもらっているんだろう、と言った被災者。
心の中で、(自分たちも被災者なんだ)と訴える教師。
災害時における被災者と支援者の「気持ち」について考えることは、災害時における行動の大切な指針になるということを、ぼくたちは学ぶことができた。
(次回へと続く)