災害時における教師たちのノブレス・オブリージュ ~そこにある「使命感」と「多忙感」~ 14 被災地を訪れた学生たち①

熊本で学びたい

ぼくたち(松井、岡村先生)は2016年8月からこれまでに、けっこうな回数の熊本訪問を実施することができてきた。
この1年余り、コロナ禍において思うように訪問できていないが・・・。
2016年当初は、訪問するたびに得られた情報などを大学の授業に生かし、学生たちに話してきたものだった。
そうすると学生たちは、熊本に行きたいというようになった。
その体験は、教師を志す学生にとっては貴重な体験となるだろう。
ぼくたちは、ボランティアではなく、被災地における教育実習的な的な意味合いで学生を募集した。
2名で引率(ぼくと岡村先生)するので、10名の枠を作り、メールで全学生を対象に募集(教育機会の公平・・・、タテマエ上)し、先着10名とした。
ほんの数秒で10名の枠が埋まった。
2017年10月末。4限目の授業が終了した後、12名で熊本に向けて出発した。

熊本に到着したのは夜10時を過ぎた頃だった。
今回の訪問に際しては、益城町立広安西小学校の校長先生(当時)の井手文雄先生にあいかわらずお世話になった。
学生訪問の件を相談すると、すぐにご快諾いただいた。
そして、学生の学びについていくつかのご提案をいただいた。
そして、次のような学修計画を立てた。

熊本での学修計画

当時はまだ、このような場所がたくさんあった。
そこを子供達は通って登校する。毎朝教師は、子供たちの安全のためにこのような場所に立っていた。
  1. 登校指導
  2. 朝礼に参加
  3. 授業補助
  4. 校長先生との対談
    (ここまでは広安西小学校で。ここからは小学校を離れて)
  5. 復興屋台村で昼食
  6. 被災地見学
  7. 避難所(総合運動公園)見学
  8. 帰ってからレポート

ぼくたちが計画した学修内容のメインは、1の登校指導だった。
震災が残したものはたくさんある。
目に見えるものと見えないものがある。
震災後の倒壊した家屋や壁、隆起した道路は子供たちの登下校において別の危険を生み出す。
そこをケアするのは教師たちだった。
その教師の役割を、学生たちに体験させたかった。
学生たちは大学で、指導案を書いたり模擬授業をするなどして、教師になるための学びを積み重ねているが、それだけが教師の仕事ではない。
「子供の命を守る」という職責について学ぶ貴重な機会だった。

登校の安全指導は子供たちが登校する前に配置につく。
7時半にはそれぞれの位置につくため、熊本市内で宿泊したホテルを早朝に出て、レンタカー2台に分乗して広安西小学校に向かった。
到着すると、学生たちはすぐに、壁に掲示された多くの新聞記事や写真に感嘆の声を上げた。

到着し、興味津々で壁の記事や写真に見入った。

「ナオト・インティライミだ!来て歌ったんだね」
「森高千里さんと校長先生だ。にやけてる!」

といった具合に。


そして小学校はなんと「控室」を準備してくれていて、そして学生たちにサンドイッチとドリンクの差し入れを準備してくださっていた。
まったくの本末転倒になってしまったが、存分に学ばせていただき、将来の教職に生かすことが恩返しだと、気合を入れる学生たちだった。

(次回へと続く)


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