災害時における教師たちのノブレス・オブリージュ ~そこにある「使命感」と「多忙感」~ 4  「災害救援者」としての教師の役割

本シリーズ前回の投稿では、災害時における「避難所」としての学校の役割について述べた。
そして、そこにいるのは「教師」である。
小学校が被災者のニーズと期待から避難所として運営されたとき、そこを職場とする教師たちの役割はどうなるのだろう。

災害時における教師の役割とは

 一般的には、「職業的災害救援者」とは消防職員、警察官、自衛官、海上保安官、一般公務員を指し、「災害時に救援する職業」として、医師、看護職、カウンセラー、そして教員・保育士が該当する。
内閣府の調査(平成28年度避難所における被災者支援に関する事例報告書:内閣府)では、全国自治体への調査(n=1557)で、学校を避難所にしている場合に、教育関係者との間で災害時の役割分担は決めているかの問いに、「決めている」(28%)、「決めている最中」(19.5%)に対し、「役割分担は決めていない」という回答は52.5%(817自治体)で過半数を示した。
したがって、避難所となった学校において、教師たちは「役割分担が決められていない」状況の中、「災害時に救援する職業」として、目の前の災害に救援する役割を担うことになる。
そこにあるのは、災害時の救援対策訓練を受けた「職業的災害救援者」ではなく、教師としての「使命感」で救援に従事する教師たちの姿なのである。

避難所を運営したひとりの校長

 そこで、勤務する学校が避難所となり、そこでリーダーシップを発揮して避難所を運営したひとりの校長について触れることにする。

 本稿の基盤となっているぼくたち(松井、岡村)の研究「災害時における教員の職業的役割-『使命感』と『多忙感』に着目して-」では、これまでに10回以上にはなるだろうか、熊本県を訪問し、とくに益城町の広安西小学校を訪れ、本シリーズ第1回(災害時における教師たちのノブレス・オブリージュ ~そこにある「使命感」と「多忙感」~ 1  震災をめぐる教師の「使命感」と「多忙感」への着目①)で紹介した、当時校長だった井手文雄先生にインタビューを実施してきた。
そのインタビューの中で、井手先生は自らを「異端児」であると発言した。
この意味は、他の避難所の運営方針との違いから発せられた言葉だ。
井手先生は避難所として小学校を運営する過程で、災害支援をできるかぎり受け入れる方針を打ち出していた。
その支援とは、有名芸能人の訪問であり、多くの支援物資だった。
当時訪れた広安西小学校の職員室前の掲示板には、所狭しと訪問した芸能人や著名人の写真が貼られていた。
とくに女性タレントとのツーショット写真の井手先生は、満面の笑みを浮かべているところが微笑ましい。
避難所の苦悩がそこからは感じ取られない。

井手校長は、独自の方法で避難所を運営した。


その一方で、他の多くの学校の避難所では、とくに芸能人やスポーツ選手の訪問は断る方針を打ち出した。
その理由は、できる限り児童が平常心を取り戻せるようにしたかったから、というものであった。
井手先生の方針はその逆をいくものであったが、そこには確固たる理由があった。
それは、学校や地域、そして子どもたちが災害から立ち上がることは、負から平常を取り戻すことのみならず、成長の糧としたいという思いがあったと言える。

井手先生のこの避難所運営方針は教育方針そのものであり、それは児童の心のケアと同時に成長へと結実していることが伺える。
学校再開後、井手先生は子供たちに、地震で何が増えたかと問うた。
すると子供たちはこう答えた。

「ひび割れが増えた」
「あいさつが増えた」
そして「ありがとうが増えた」

 学校避難所の運営と、教師の役割のひとつのモデルとして、広安西小学校の井手先生を取り上げ考察することは、今後の災害時における避難所運営の指針となるだろう。

(次回へと続く)

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