教師と社会③ 「教師とメディア」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.13

ここ最近の投稿では、「豪雨災害」(「災害」カテゴリー)と「教育者のグローバリズム」(「もうひとつのカリキュラム論」カテゴリー)を投稿してきたので、「教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか」の執筆の間があいた。
前回の本シリーズの投稿では、教師の不祥事の実態と教職志望者数の関連について考えてみた。
そこでは、教師の不祥事による懲戒処分は、とくに「わいせつ行為等」では増加傾向にあるが、そのことが教員採用試験の倍率低下と関連しているかはわからない。
そこで今回は、ふたつめの視点として、メディアによる報道が教師の姿を極度に歪めていないか、という仮説について整理してみたい。

メディアによる教師像の造形

少し古い研究になるが、阿部(1991)は,教育報道の量的,質的変化について発表している(阿部耕也 1991「新聞記事における教育問題の変容 −『教育問題の社会史』のために−」日本教育社会学会 第43回発表要旨集録)
そこでは教育報道には,政府やその他の機関が発表した内容をそのまま報道する〈時事型(報告型)〉、学園紛争などの教育関連の出来事などを論評したり方向づけたりする〈論評型〉、そして日常的な教育現場から問題を発掘し、それを型作った枠の中で事件として報道する〈発掘型、あるいは問題構成型〉があるとした。
ぼくがここで問題としたいのは、三つめの〈発掘型、あるいは問題構成型〉が近いだろうか。
だがいずれにしても、取り上げられる教育の諸問題が、いかなる社会的文脈の中に位置づいているか、ということが問題となる。
したがってぼくがここで仮説とするのは、教師の質が低下しているのではないか、という社会的文脈は、メディアの報道による影響が大きいのではないか、ということだ。
そこで、最近の教育関連の報道についてできる範囲で洗い出してみよう。
膨大な量になるので、本項を執筆している2021年2月~3月前半の報道について整理してみた。
とくにニュースを目にする機械というのは、テレビや新聞よりもネットニュースが主流になっている。
2020年の一世帯あたりの新聞部数は0.61であり、2008年に1部を切って以降減少を続けている。したがってここでは、ネットニュースの3社について、学校、教師に関連するニュースを列挙してみよう。

N社 教育ニュースLニュース 学校教育A社 教育問題ニュース
自民・公明 わいせつ教員に免許再取得不可能に法整備など検討(2.27)生徒を叱るも「パワハラですよね」と教師に暴力 転換期に生じた「歪み」(3.4)免許失効教員61人、官報に未掲載 大半がわいせつ事案(3.9)
くせ毛や栗毛色「地毛証明」都立高の4割 生徒に届け出求める(2.25)わいせつ行為で懲戒免職になった教員・保育士ら 就職制限を要望(3.3)熊本市生徒自殺 市教育長「早く調査すべきだった」(2.25)
コロナ影響で中退や休学の学生約5800人に 去年4-12月 文科省(2.21)「わいせつ教師根絶法」実現へ動く 19年度の処分数は過去2番目の多さ(3.3)福岡の小学校いじめで報告書 学校などの対応「不十分」(2.24)
自殺した児童生徒 最多の479人 高校生の女子が大幅増加(2.15)教員に生徒との私的SNSを制限 静岡県教委、懲戒処分の対象(3.2)小学校講師が体罰で男児重傷 転倒させ、胸元踏みつける(2.20)
新年度 教育“ICT元年”へ 新たな学びへの模索始まる(2.5)小学校の「あだ名禁止」で激論 「人が嫌がる呼び方するな、じゃないの」「いじめ増やさないために有効」(2.24)元生徒の男性を全裸にして写真撮影 県立高教諭を処分(2.19)
公立小の教員採用倍率過去最低 「35人学級」に教員確保が課題(2.3)「私、子どもを保育園に12時間以上預けている…」なぜ教育業界の“ブラック化”は止まらないのか(2.8)差別的な投稿や酒気帯び運転事故、教諭2人を処分 群馬(2.16)
公立小学校の1クラスの定員 35人以下に(2.2)「残業代を付けてほしい…」ブラック化が叫ばれる“教育業界”に自ら進んだ若手教員の本音(2.8)吹奏楽部顧問が部員蹴り、暴言…謹慎処分に 広島新庄高(2.10)

ここでは紙面の都合上、いくつかのニュースを挙げていない。
その多くが新型コロナウイルス関連や、大学入試関連の記事である。
この3社について、N社教育関連ニュースは、大手テレビ局のネットニュースであり、「報告型」の記事が多い。
Lニュース学校教育は一見してわかるように、読者を見出しで惹きつけようとする「工夫」が顕著である。
それだけに他社記事に比してタイトルが長くなっている。
A社教育問題ニュースは、大手新聞社のネットニュースであり、簡潔だが目を引くタイトルになっている。
先の2社のちょうど中間の位置付けとして見ることができる。
だがいずれにしても、「いいニュース」がない。
これは印象に過ぎないが、教師を目指す学生が、このニュース一覧を見たとき、どのような感情に襲われるだろう。
このような世界に夢を馳せ、長い期間にわたって闘わなければならない教員採用試験に向けて、挑み続けることができるだろうか。
しかし、メディアが持つ力と教育は闘わなければならない構図は、もはや社会の一つの構図として成立しているのではないか。
小野(2016)は、1990年代後半のインターネット普及によって、「ネットニュース利用者はニッチな 争点を重要であると認知する傾向が強い」と指摘し、「個々人 が関心を持つトピックや議題に選択的に接触することができるようになっ たことで,分断化したオーディエンスがそれぞれ異なる社会的リアリティ の中に生きるようになりつつある」と指摘した(小野哲郎 2016 「マスメディアが 世論形成に果たす役割と その揺らぎ」 放送メディア研究 No.13)
つまり、教師を志す学生、現役の教師、子を持ち教育に関心の高い親、などは、「教師」や「学校」「子ども」などのトピックに選択的に接触し、その情報がその個々人にとっての社会的リアリティになっていくということになるだろう。
したがって、先の記事の表からは、学校教育の社会のリアリティは「わいせつ教師」や「処分」、「ブラック」「採用試験の倍率は最低を記録」ということになってくるのである。

(次回に続く)

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