教育者のグローバリズムⅣ 「2019年 6歳のトナン」

このシリーズの前回の投稿(7月9日教育者のグローバリズムⅢ「カンボジアの経済成長と幸福度」)では、冒頭に笑顔を取り戻したトナンについて報告した。

トナンはどこに?

2019年2月。
学生8名とともに、ぼくは意気揚々とプノンペン空港に降り立った。
年々、改築され、洗練されていく空港に驚いた。
空港は、カンボジアの経済成長を実感させる。
この年、ぼくはいつも訪れる訪れるストゥーミンチェイ地区のスラムで、一瞬の衝撃を受けた。
この回のカンボジア研修は、先に紹介した3つのプログラム(授業体験、スラム炊き出し、命のディスカッション)を実施する年だった。
ぼくは役割分担で下見係となった学生とともに、炊き出しプログラムの下調べ(かまどを設置するスペースや、子供を並ばせて配給する動線の確認)のためにスラムに向かった。
当然のことながら、ぼくはトナンに会うことが1番の目的だった。
スラムに到着してすぐに、トナンの家に向かった。
家といっても、狭い路地にトタンの扉(玄関)がいくつも並んでいる。

この狭い路地の左右が人々の家だ。


それでもどこがトナンの家かわかる自分に半ば呆れながら、トタンの扉の奥を覗いた。
まず1番にぼくに気づいたのは、トナンのパパだった。
いつも上半身裸で、短パンを履いて、ぽってり張り出したお腹でニコニコしている。
さすがトナンのパパでとてもハンサムだ。


次にトナンの姉が出てきた。
とても勝ち気な子で、ハスキーボイスでいつもトナンを泣かしている。
ぼくはトナンのお姉ちゃんに聞いた。
Where is your brother?
トナンの姉は少し戸惑ったような表情をした(ように感じた)。
そして、指さした。
彼女は、空を指さした。
ぼくは、一瞬頭が真っ白になった。
もう一度聞いた。
トナンは?トナンはどこ?

するとトナンの姉は、もう一度空を指差して言った。
「スコール』

スコール?
そら?空?上?
天国???

ぼくはこの時、ここではそれがあり得るのだと実感した。
毎年、1年にたった1度だけカンボジアを訪問し、スラムを訪れる。
そこには、トナンがいて当たり前だと思っている。
健やかに成長することが当たり前だと思っている。
しかし、その考え、発想の貧困さ、視点の陳腐さこそがグローバル(パースペクティブ)ではないことに気づいた。
ここはスラムだ。
貧困で、不衛生だ。
ある時、同じスラムの女性が、赤ちゃんを抱っこしながら教えてくれた。
「私たちは、病院に行かない。お金がないし、汚いから恥ずかしい」

ぼくは呆然としながら、とてつもない絶望感に苛まれそうになりながら、弱々しい声で聞いた。

「トナンは、上へ?」と、空を指さした。
トナンの姉は、うなづきながら言った。

Yes! He is going to スコール

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ん??
スコール?
ああ、schoolか!!
school?
Yes!

トナンの姉の英語の発音が良すぎて、ぼくにはスコールと聞こえた。
スクールだったのだ。

この笑い話は、ぼくに新たなことを教示した。
スラムに生きる子供たちの、命の儚さというか、危うさを。

いつも弟のそばにいて、お兄さんになっていたトナン

その翌日、元気で、そして落ち着いたお兄さんになったトナンと会った。
トナンは、やんちゃ盛りの弟のそばでいつも見守り、ときには優しい声で諌めたりしていた。
本当に、元気でよかった。
コロナで会えていない。
どうなっているのか心配だ。
今年こそ、8歳になっているだろう、元気なトナンに会いに行きたい。



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