教育者のグローバリズムⅠ 「トナン少年との出会い」

カンボジアに関するブログ記事は、前回まで「カンボジア研修とコロナ」と題して7回のシリーズで書いた。
今回からは、カンボジア渡航を機に出会った人々について記したい。
第1回目は、ぼくがカンボジアに惚れ込んだきっかけとなった、スラムの少年トナンについて書こうと思う。

スラムのその少年の目は透き通っていた ー2015年 トナン2歳ー

このブログでも書いたが、ぼくは最初の、2015年のカンボジア渡航は心底いやいや行った。
プログラムにあったスラム行くのも本当に嫌だった。
靴が汚れそうだし、興味もなかった。

2015年、スラムに生きる少年トナン2歳
空を見上げる目が、澄んでいた。

そのスラム(ストゥーミンチェイ地区)で、1人の少年と遊んだ。
集落の外の路地に1人でいた少年に、ぼくは興味をもった。
子供は好きだから、その子と遊びたくなった。
言葉も通じないし、とりあえず足元に落ちていた無数の石やガラスの破片を上(空)に向かって投げた。
その子は夢中になってぼくが投げた石やガラス片を目で追い、落ちたそれらを拾ってぼくのところに持ってきた。
(もう一回、投げて)
その時の様子を、同行者が撮ってくれていた。
空を見上げた少年(トナン)も目が、汚れがなく美しかった。
そのときぼくは、カンボジアのスラムに何らかの偏見を抱いていた自分を知った。
トナンの純真な目は、そのことをぼくに気づかせてくれた。
カンボジアという国に、「これからも来たい」と思った瞬間だった。

スラムに生きるフィロソフィー ー2016年 トナン3歳ー

ゴミ溜めを裸足で歩くトナン少年の後ろ姿。

翌年のカンボジア訪問(研修)で、ぼくはトナン少年と会うことを何よりも楽しみにしていた。
(ぼくのことを覚えているだろう)
という期待は大きかった。
学生たちとストゥーミンチェイ地区のスラムへと赴いた。
たくさんの子供たちが歓迎してくれ、最初は恐る恐るだった学生たちも、子供たちの愛くるしさにすぐに心を柔らかくし、夢中で子供たちと関わった。
ぼくはトナンを探していた。
ようやく見つけたトナンは、ぼくの期待する態度とは違っていた。
両親が気遣って、トナンにぼくのことを思い出させようとしていたが、トナンは照れた表情を浮かべながら一言も言葉を発することはなかった。
意気消沈したぼくは、スラムの中をウロウロと歩きながら、学生たちの様子を眺めていた。
すると、トナンが歩いているのを見かけた。
トナンは手に袋を持ち、確たる目的を持って歩いていた。
トナンは、ゴミ溜めの細い路地を裸足で歩き、おそらく家で頼まれたお使いの袋をしっかりと持ち、一心不乱に歩いていた。
3歳の子供が。
ぼくはその、トナンの後ろ姿に圧倒されていた。
そして、少なからず羞恥を覚えていた。
トナンの背中は、圧倒的な力強さで語っていた。
「スラムで生きる、ぼくにはぼくのフィロソフィーがある」
カンボジアのスラムの子供たちにとっては「金持ちニッポン人」がズカズカと集落にやってきて、お菓子を配り、自分たちの自尊心を満たすかのように子供達とコミュニケーションを取る。
そこに付き合うが、ぼくたちには今日を、明日を生きる生活があるんだ。
そう言われたように感じた。
それほどまでに、スラムで生きるトナンの背中は生命に満ちていた。

次回、その後のトナンについて書きたいと思う。

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