コロナ禍の新任教師たち④ 「子供の成長が見えるのがやりがいとか・・・。綺麗事やん」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.9

教師、やめようかな・・・

前回(6月27日)、元ゼミ生の京都Iが、「私たち、このままだと来年の新任と同じくらいの能力ですよね」
といった発言を紹介した。

京都Iは、学生時代から芯の強い女子学生だった。
大学の方針が相手でも、気に入らなければ巻かれない強さを持っていた。
自分なりによく勉強し、持論を持って学校や教師というものを見ていた。
それだけに、経験を得るため、蓄積するための時間や機会をコロナ禍によって失った中で、それらをどのように取り戻し、自信を構築していくのか、楽しみではあった。

卒業時にくれた色紙
彼らが全国で、コロナ禍の新任教師になった

後日談になるが、それから1年近く経つ2020年12月。京都I、北海道Sと会って話す機会があった。
北海道Sは、本格的に学校が再開された夏以降、担任をしている学級の友人関係による課題が保護者同士の関係悪化に発展し、ほとほと手を焼いているようで、2020年8月某日、ようやく初めての夏休みを迎えようという日の前日にぼくに突然電話をしてきて、相談を持ちかけてきたのだった。
それ以来だったので、気になっていたのだが、課題は継続中ということだった。
しかし本人は元気そのもので安心した。

一方、京都Iだが、2020年4月15日のLINE以来だった。4月当初は元ゼミ生たちも、不安な中で情報共有し、自らの立ち位置、状況を確認する必要があったのだろう、学生時代のグループLINEを利用して互いに情報共有しあったが、それもどうにか卒業できたようだった。各自がそれぞれの世界で生き始めていた。
だから、連絡がないことは成長の証だった。

そして、8ヶ月ぶりに会った京都Iは、ぼくにこう言った。

「教師、やめようかと思って」

いつか、京都Iはこのようなことを言い出すのではないかとぼくはどこかで予想し、危惧していた気がする。
それは学生の時からそうだった。
おそらく京都Iは、学生の時に一度は教師への道を離れ、一般企業への就職を考えた時期があったと思う。
その話を始めると本気になってしまう気がして、ぼくはあえて避けてきたのだろう。
しかし、初志を貫徹するという意地で教員採用試験を受け、合格したというところが本音だったのではないだろうか。

理由を聞くと、いろいろと本人は語ったが、まとめると「つまらない」ということだったと思う。後日、再度本人に尋ねて確認した。

まだ、教師という仕事でわからないことがたくさんある中で、言われたことをやっているだけなのが嫌だったのと、あの時(2020年12月ごろ)はさらに、2学期のやるべき授業が12月の上旬に終わってしまい、毎日プリントを配って丸付けをしての繰り返しで、毎日同じことの繰り返しで退屈だなと思ったり、また、私の気持ちも子供を見ようとしていなくて、理解しようとしていなかったので、怒ってばかりで。教師として何を目標にしているのかわからなくなったのと、子供の成長が見えるのがやりがいとか、「綺麗事やん」と思ってました。
あれから、(先生が言った)「自分で課題を見つけていく」という言葉が刺さり、研究授業もあったので忙しい日々を送っていましたが、まだ自分の中でははっきりと解決できていないので、また同じことを感じる日が来ると思います。


2021年2月23日 pm.6時17分 京都I

この新任教員の言葉の中に、現在の学校や教師という職業が包含する課題、そして「教師はなぜ、憧れの職業でななくなったのか」という問いの解明に向けた糸口を探し出せるかもしれない。

(次回に続く)

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