2020年2月 カンボジア研修とコロナ
ぼくが勤務する大学では、年に1回、希望者を募ってカンボジア研修を実施する。
ぼくは毎年、その引率として参加するが、この研修の価値はとても大きい。
これまで、カンボジア研修に参加した学生は、高い割合で教師の道に就いている。
このことは単なる偶然ではなく、理由があるようだ。
理由については、本シリーズでカンボジア研修について話すなかで明確になっていきそうだ。
今回はまず、もっとも直近の2019年度(2020年2月実施)カンボジア研修(2020年度はコロナ禍において中止、オンラインに変更して実施)の”悲劇”について話したい。
悲劇のカンボジア研修の始まり
2019年の末に、中国・武漢市を起源として発生した新型コロナウイルスは、年が明けた2020年1月16日の報道で、「国内で初の感染」という形でぼくたちの耳元に届いてきた。
しかしそれも武漢に渡航歴のある中国人男性であり、その当時の感覚では、少し離れた外国でのできごとで、自分たちの身にいずれ降りかかる災禍とは思えず、日本ではまだあまり大きく取り上げられていなかったように思う。
日本はその年の夏に控えた東京オリンピックに向けて、その開催が危ぶまれる(のちに「延期」が決定)ことになるとは、誰も予想だにしていなかった。ぼくに至っては、勤務する大学で毎年、2月に実施するカンボジア研修に向けて、なんとしても学生たちを連れて行くのだということばかり考えていた。
ところがその様相は変化して行く。
カンボジア研修に出発する2020年2月に入ってくると、横浜へのクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」着岸による影響など、新型コロナウイルスの感染拡大は、もはや「我が国に及んだ災禍」となりつつあった。
それでもまだ、東南アジアの熱帯(当時、新型コロナウイルスは暑さに弱いと言われていた)の国への渡航を断念するほどのインパクトではなく、2020年2月、ぼくたちは引率2名と学生8人でプノンペンに降り立ち、意気揚々と研修を開始した。
そのときの現地の状況はというと、それはのんびりとした、南国の陽気そのものが漂っていた。
たとえば象徴的な風景があった。到着した翌日、交流するプノンペンの大学に赴き、一緒にカレーを作って昼食にしようということになった。
現地の大学生とともに買い出しに行く日本の学生についていったのだが、ある市場で店の男性が大きな咳を一つした。するとプノンペンの学生たちは咳をした男性を指差し、ケタケタと陽気に笑いながら「CORONA~」と言ったのである。
市場の人はそのからかいに笑いながら、“よせよ“というジェスチャーで応じ、それはさながらコントのようだった。
それを見たぼくたちは、“プノンペンは日本よりも安全だ。研修を実施してよかった“と思ったものだった。
その後、様相は急変していく。
(次回へと続く)
もう、1年以上も前のことになってしまいました。またコロナなしで交流できる日を楽しみにしています。