奈良小1連れ去り事件から18年目の追悼② 〜事件の教訓から生まれた防犯パトロール〜

事件の教訓が生み出したもの

2004年11月17日に、当時小学校1年生だった有山楓さんが被害に遭った事件の直後、当小学校は混乱に陥った。
そしてこの日から、「学校危機」は継続することになる(松井、2022、「学校危機の定義、継続、変化に関する考察 〜石巻市立大川小学校津波事故と大阪教育大学附属池田小学校事件を事例に〜」)。

学校には教師、PTA役員、自治会等が集まり、今後の対応について協議が繰り広げられた。

「明日から、子供たちの安全をどうやって守ればいいんだ」

そう言って苦悩する教師たちに、当時の自治会長はこう言ったそうだ。

「先生たちは、学校で子供たちを守ってほしい。外のことは、私たちがやるから」

この瞬間、現在も全国で展開されている「登下校防犯パトロール」が誕生した。
そして当小学校では、集団登下校(現在では「ターミナル登下校」と銘打たれている)が始まり、要所要所に、編成された地域の大人が防犯パトロールとして子供たちの安全を見守った。

今年(2022年)の5月に石川県に防犯研修の講演に行ったとき、県の教育委員会の方が、各学校単位で編成されている防犯パトロールの組織に関する資料を見せてくれた。
そこで驚いたのは、その9割が、結成されたのが2005年4月だったことだ。
それほどまでに、楓ちゃん事件の影響と教訓が、当時瞬く間に広がったのだと、ある種の感銘を受けた。
2004年11月の発生した事件、失われた命の教訓が、全国の子供たちの命へとつながった、大いなる証である。

しかし、その「防犯パトロール」には現在、大きな壁が立ちはだかっている。
傾向的には高齢者がその役割を多く担ってきた。
日本の家庭における生活実態が変化し、親が忙しいため、退職した高齢者がその役割を担ってきたという構造がある。
その構造が課題を生み出している。

2005年以降に、たとえば65歳の防犯パトロールボランティアは現在だと80歳を超える高齢者となっており、現実的にその役割を担い、期待することは困難だと言えるだろう。
残念ながらその後、防犯パトロールのボランティアが後継していかなかった。
したがって、その数は全盛期の半数程度に落ち込んでいる地域も少なくはない。

そしてもうひとつ、防犯パトロールボランティアにおける構造的な課題がある。
有山楓さんが連れ去られ、被害に遭う事件以降、このような凄惨な事件は何件かあった。
たとえば2014年には神戸市の小1女児が下校後に1人でいるところを連れ去られ、殺害される事件があった。
2017年にはベトナム人の小3女児が、登校安全ボランティアをしていた当時のPTA役員に連れ去られ、遺体で発見される事件があった。
2018年には新潟県の小2女児が被害に遭った。

このように、大きな事件はクローズアップされ、その都度、防犯対策の必要性が叫ばれるが、それは次第に喉元を過ぎていく。
そして、登下校ボランティアは「防犯」の機能よりも「交通安全」に対するものへとシフトしてく。
同じ登下校の安全パトロールだと思いがちだが、それぞれ「見守り方」が違う。

【防犯】の場合は、集団登校の列の最後尾に1人の大人がつく方法が一番効果的である。
最後尾ということが重要で、児童の列全体を見ることができる位置が最後尾である。
しかし、大人が先頭に立って歩き、最後尾の小さな子供が離れていってしまっている場面がよく見られるので注意が必要である。
あるいは登下校の動線上に、子供が見えなくなる「空白地帯」がないようにボランティアを配置する方法も効果的である。

しかし、最近は交通安全の視点でのボランティアが多く、交差点に4人の大人が立っている場面も見られる。
高齢化によるボランティアの構造的な課題がある中で、同じ交差点に4人のボランティアがいることは効率的ではない。

それにしても、ボランティア、しかも高齢者による組織に子供の安全を託している現状は、憂慮するべき実態である。
なぜ、ボランティアの後継が促進されないのか。
それは、このボランティアに子供の安全を委ねてしまっているということが挙げられるのではないか。
逆に考えると、「何か」あったときに、そのボランティアは責任を感じざるを得ないだろう。

このことは、現在の日本の、子供の安全に対する「脆弱性」を如実に物語っている。


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