大川小学校の悲劇 ⑧危機管理マニュアルと訓練の必要性とは
大川小学校の悲劇をめぐる訴訟では、一審と二審がそれぞれ別の「争点」で展開された。
ここまでは一審の争点だった、
「地震発生後に津波の危険を予見し、児童に命の危険が迫っていたことが認識できたか」
という点について述べてきたが、次に二審の争点、
「危機管理マニュアルなど、学校の事前防災は適切に準備されていたか」
という点について考察してみたい。
危機管理マニュアルとは
大川小学校の当時の危機管理マニュアルには、津波を想定した具体的な避難場所が想定されていなかったことがわかっている(報告書)。
大川小学校は2007年に一度、危機管理マニュアルを改訂し、そのとき初めてマニュアルに「津波」の文言が記載された。
そして避難場所は、一次避難が「校庭」であり、次に避難する二次避難場所として「近隣の空き地・公園等」としていた。
このマニュアルは、2010年度も改訂されずこのままになっていた。
少なくとも3年間は見直しと改訂がされず、二次避難の「具体的な避難場所」が想定されていなかったことに加えて、三次避難場所が想定されていなかったということになる。
「裏山」への避難については、管理職を含めて数人で討議したことはあったが、結論が出ないまま3.11を迎えてしまった。
それが多くの子供、教師の命を失ってしまったことの要因の一つであることは否定のしようがない。
学校における危機管理マニュアルはこれまでに、文部科学省による参考資料として、2002年12月に「学校への不審者侵入時の危機管理マニュアル」が作成された。
これは言うまでもなく、2001年6月に発生した大阪教育大学附属池田小学校での児童殺傷事件が契機となっている。
また、2007年11月に、登下校時の犯罪被害への対応を追記した「学校の危機管理マニュアル〜子どもを犯罪から守るために〜」が作成された。
これは、2004年に発生した奈良市の小学校1年生女児が、下校中に連れ去られて殺害された事件以降、登下校の安全について対応する必要が生じたためだ。
そして2012年3月には、東日本大震災の教訓を踏まえた「学校防災マニュアル(地震・津波災害)作成の手引き」が作成された。
これら危機管理マニュアル作成の手引きを参考にして、各学校園で地域や学校の実情に応じた危機管理マニュアルの作成が、学校保健安全法に基づいて義務づけられている。
また、この危機管理マニュアルは随時見直しをして改訂を図ることが重要であるとされている。
ぼくが大阪教育大学附属池田小学校で勤務しているとき、先輩教師から強く言われた。
「マニュアルは、毎年必ず見直して改訂することが大切だ」
当時のぼくは、その重要性を理解していなかった気がする。
一度作ったものをなぜ、毎年改訂する必要があるのかと。
実際に、見直しても改訂する箇所が見つからず、そのまま翌年に踏襲されたことも多かった。
しかし、大川小学校の悲劇を考えると、危機管理マニュアルの作成とその見直し、改訂のサイクルは子供たちの命に直結するものであることがよくわかる。
マニュアルを過信したり、マニュアルに縛られることは結果的に適切な判断を阻害することもある。
しかし、マニュアルがなければ「想定」もできず、「臨機応変」な判断も生まれようがない。
危機管理マニュアルの作成や見直し、改訂のサイクルとその過程は、教師や組織にとって知識とスキル、そして意識を強化する機会でもあるのだ。
そして、そのマニュアルの精度を確認し、課題を見出すために訓練をすることが大切となってくる。
「マニュアル」と「訓練」と教師の役割
近年、教師の多忙感の増大や働き方の見直しなどもあり、教師がガードマンさながら訓練をしたり、登下校の安全対策や自然災害について対策をする過程で、教職員が学校全体で意識を共有することが困難になっている。
しかし、大川小学校の悲劇はそのような「働き方」を容認しない。
目の前に危機が迫り、教師は「想定を超えた」判断が求められたのだ。
そこでは、子供たちの命を守る教師の役割が明らかになった。
そのために、教師は学び、訓練しなければならないだろう。
2001年の9.11(アメリカ同時多発テロ)による世界貿易センタービルでの悲劇後、そこでは繰り返し避難訓練が実施されている。
その訓練を指導するのは、9.11を生き延びた警備主任だ。
その訓練は、米軍におけるとてもシンプルな原則に支えられている。
それは、
“極度のストレスの下で脳を働かせる最上の方法は、あらかじめ何度も繰り返して練習をすることである“
“適切な事前の計画と準備は、最悪の行動を防ぐ“
というものだ。
危機管理マニュアルも、訓練も、教師にとっては明日結果が出る算数や国語などの教科教育に比べると、その緊要性に欠けるだろう。
だが、子供の安全、学校の安全への取り組みは、手を離し、意識を遠ざけるともはや取り返しのつかない、大きな仕返しがいつの日かやってくる。
そのことを、大川小学校の悲劇から学ぶべきだ。