大川小学校の悲劇 ④「そのとき、もっとも適切な判断」とは

「正常性バイアス」

14時52分の津波警報で、三次避難を開始しなかった教職員の判断について、「報告書」は以下のように分析している。

少なくとも15時15分〜20分頃までは、地域住民・保護者はもとより、教職員においても、大川小学校付近まで津波危険が及ぶ可能性を具体的に想定し、切迫した避難の必要性を認識していた者は、多くはなかったものと推定される。

そして、「正常性バイアス」による楽観的思考を、その要因として挙げている。
このことは、2011年の東日本大震災においては至る所で指摘され、その結果「想定外」や「想定にとらわれない」ということが、今後の防災対策におけるキーワードとしてクローズアップされた。

しかし、全ての教師が津波到来の危険性に気づいていなかったわけではなかった。

地震発生から15分ほど経過した15時ごろ、結果的には教職員で唯一生き残った教師Aが、当日の実質的リーダーの教頭に、

「どうしますか?山へ逃げますか?」

と尋ねている。
しかしそこでは、

「この揺れでは駄目だ」

という返事が返ってきている。

ここで、教師Aが避難場所として挙げた「山」(以後、裏山)について説明が必要だろう。
この、通称「裏山」と呼ばれる場所は大川小学校の運動場裏に迫り出した山のことで、過去に崩れたこともあり、教師は子供たちに「裏山には上るな」と指導していたようだ。

その強い日常の指導が、緊急時の避難への柔軟な判断を妨げた可能性はある。

15時30分、地震発生から45分ほど過ぎた頃、不安に駆られていた小学校1年生の女子児童が担任の女性教師(当時24歳)に、「山に登るの?」と尋ねた。
女性教師は、
「登れないんだよ。危ないから駄目なんだ」
と答えている。
そのおよそ5分後に、津波が到達した。
また、子供を引き取りに来た保護者は道中のラジオで、6メートルという津波予報を聞いてただごとではないと思いながら学校に到着した。
近くにいた教師に、「早く山に逃げて」と裏山を指したが、教師は「落ち着いてください」と冷静に言ったという。

結果から言うと、この裏山に逃げた教師Aと児童(山に打ちつけられた)は助かったのだ。
たしかに、リーダーである教頭が裏山への避難を決断し、開始していれば多くの子供、教師は命を失わずに済んだのかもしれない。

ぼくはいつも、安全かどうかの正解は「結果しか物語らない」と言う。
裏山に登ればよかった、と言うのは結果から分かることであり、そのとき教師の多くは、裏山が地震で崩れたら、という別の危険を想定していたことは批判するべきことではない。
しかし、「その時、もっとも適切な判断」を下すことは、子供の命を守る教師には必要な能力だ。
そのために、研修や安全教育、訓練などがある。

地震発生後25分間 15時10分まで

15時前後、校庭に避難していた児童の列に、次々と保護者が訪れ、子供引き取りに来ていた。
これを学校では「引き渡し」という。
大川小学校では6年生の担任教師が担当していたが、慣れないことであり、またそのノウハウが構築されていなかったこともあり、手探り状態だったようだ。
弟を迎えに来て、「引き渡し」の様子を見ていた当時中学校1年生の男子生徒は、「先生たちは大変そうだった。どうしたらいいかわからない、パニック状態だったのかもしれない」と述懐している。

この引き渡しでは、東日本大震災で多くの教訓が残された。
震災時における学校の児童引き渡しについては、阪神・淡路大震災後の1996年に文部科学省によって示されている。
しかし、その有効な方法やルールについては明確なものはなく、実効性と有効性がある方法が構築されてこなかった。
そして2011年の東日本大震災で、その弱点が露呈した。
保護者が子供を引き取りに来て帰らせた結果、津波被害に遭って命を失った例が多く報告されている。
また、混乱の中で保護者ではない大人に子供を引き渡し、その結果子供は津波に遭って命を失った。
この件について、仙台地裁は「安全を確認せず、保護者以外に引き渡し帰宅させた注意義務違反がある」として、学校の過失を認める判決を出した。

しかし、学校としては引き取りにきた保護者に「学校の方が安全です」とは言えなかっただろう。
実際に、大川小学校の場合は引き渡すことができた児童は命を失わずに済んでいる。
引き渡すべきか、学校に残すべきかという判断を、学校が責任を持って行うことは困難だし得策とは言えない。
この責任の重さを学校が負うと、判断を鈍らせる。
あるいは「黙っている」という事態も起こりかねない。
子供を連れて帰るかどうかは、保護者の、親の判断であり、責任だろう。
学校は、その親の判断に従って引き渡すしかない。
迅速に、正確に引き渡すことが学校の責務といえる。

しかし、「避難」は学校の判断で行わなければならない。
「裏山」に避難せず、津波到来のぎりぎりまで学校にいて、最終的に「行ってはならない」とされていた河川方面の「三角地帯」に避難しようとした判断まで、学校では、教師の間では何があったのか、検証してみよう。

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