「カリキュラム・イノベーション④ 〜学校と教師がカリキュラム開発の主体となるために〜」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.91
カリキュラム・マネジメントへのポジティブ性とネガティブ性
カリキュラム・マネジメントの理論は昔からある。
例えばカリキュラム研究を牽引してきた中留武昭が「カリキュラムマネジメントの定着過程」を記したのは2005年のことだ。
そこではすでに、学校が主体となったカリキュラム・マネジメントの困難さが以下のように表現されている。
(途中略、下線は筆者)
カリキュラムマネジメントを効果的に進めていくためには、学校の組織・運営の合理化に加えて学校の文化に留意する必要がある。学校をカリキュラムマネジメントによって改善していくには、組織(ストラクチュアー)よりもむしろ文化を変えていくことのほうが重要である。その文化には、当該校の構成員としての、組織やカリキュラムに対する見方・考え方であり、これら文化にはポジティブ性とネガティブ性があり、後者のあり方を前者のあり方に変えながら、カリキュラムマネジメントを進めていくことが重要である。
「カリキュラムマネジメントの定着過程」中留武昭 p.212より
ここで中留が言おうとすることを簡潔にいうと、学校文化というものはなかなか一つにまとまりにくいということだ。
何か新しいこと(イノベーション)に対する極度のアレルギーが、学校文化というところには存在している。
また、学校現場の教師は、明日の子供たちや教育活動に即時的に役立てたいという思いが強いため、今日的な教育トピックに強い関心を示すが(例えば昨今ならGIGAスクール構想、そして授業技術や授業マニュアルなど)、ここで扱うカリキュラム開発に関心を持っている教師は少ないだろう。
それは、カリキュラムというものへの解釈がとても狭いものになっているからではないかと思う。
このような、カリキュラムの主体を問いとした提言は、1970 年代に欧米諸国で注目され、1973 年には日本に紹介された、M.スキルベックによるSBCD理論(School Based Curriculum Development)に関連を見ることができる。そこには、 2017・2018 年改訂学習指導要領において提言されるカリキュラム・マネジメントについて、およそ半世紀後の現在においても有効な示唆がある。
これに関して、ぼくは論文
「カリキュラム・マネジメントの今日的課題と成立要件の考察 −M. SkilbeckのSBCD理論を基点に−」Consideration of today’s issues and requirements for curriculum management Based on SBCD theory by M. Skilbeck -)
にまとめているので、適宜引用しながら述べておこうと思う。
M.SkilbeckによるSBCD理論
1974 年(昭和 49 年)3 月18 日から23日の間、東京において文部科学省は OECD(経済協力開発機構)の内部機関であるCERI(教育研究革新センター)と協働し、「カリキュラム開発に関する国際セミナー」を開催した。
本セミナーの趣旨は、
「(1)時代の進展に応じた新しいカリキュラム の開発が学校教育の質的変革のための基本的課題であるという課題認識にたち、(2)日本の中等教育段階におけるカリキュラム開発の現状と今後の課題について研究協議を行うとともに、諸外国における経験と問題点について情報を交換し、(3)日本におけるカリキュラム開発の推進に貢献し、またカリキュラム開発に関する国際協力を促進すること」
を目的として開催された。
そして東京セミナーではスキルベックによって「学校に基礎をおくカリキュラム開発(School Based Curriculum Development)」(以下、SBCD理論)が紹介された。
これは「学校をカリキュラム開発の場と考え、そこでの日常的な活動を通して開発を進めてゆこうとする考え方」とされ、カリキュラム・マネジメントのもっとも基礎的でそのルートとなる概念であると言える。
またそこでは、SBCDが「本当にうまくゆくためには、国や地方のレベルで一貫した政策や必要な諸条件―教師の研究開発のための時間や場所、いくつかの学校を含む協力研究開発体制、専門家の助言や援助―の確保のための指導、援助が必要なのである」と述べられ、このことは、2017・2018 年学習指導要領において示されたカリキュラム・マネジメントの成立要件と、改めて重なるところだ。
スキルベックは SBCD 理論を紹介する上で、その前提としてカリキュラムの今日的課題(当時)についてクリティカルな論を展開している。
そこでは、「今日のカリキュラムでの最大の問題の一つは、いかにして学校を社会環境に答えうるように仕立てるか、という点である」と述べている。
そして、この課題に常に注目することなしには、「カリキュラムは生徒と一般社会人の目にますます効果のないもの、不適当なものと映るようになるであろう」と述べた。
今次改訂の学習指導要領では、「社会に開かれた教育課程」が謳われているが、当初の理念からはどんどんクローズしているように感じられる。
スキルベックがいう、カリキュラムが社会、そして児童生徒にとって意味あるインパクトを持たせるのは、実は学校や教師が主体となって「社会、世界を見据えながら」夢のあるカリキュラムを開発することだろう。
そのようなプロフェッショナルを教師に求めていきたい。
素人には手が出せない、ドクターのような世界観は、カリキュラム開発で可能なのではないだろうか。