「カリキュラム・イノベーション② 〜カリキュラムは人を創る〜」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.89

学校教育におけるカリキュラムは、子供たちがどのような人生を歩むのかを左右する、あるいはその道標となるような重要なものだ。
ここでいうカリキュラムとは、単なる「学習指導要領をスタンダードとした教育課程」とは意味を異にすることは、ここまでのブログを読んでいれば感じられることだと思う。

カリキュラムが示す姿とは、たとえばこんなことだ。

ぼくは大学の授業の「カリキュラム論」(じつは大学での授業名は「教育課程論」なのだが、好み上、カリキュラム論と言っている)では、毎時間、冒頭に種々のトピックを準備して話す。

今年話題にしたのは「Black Lives Matter」や「アジアン・ヘイト」。
あるいは「同調圧力」や「ゴルフトーナメント」。

「ゴルフトーナメント」とカリキュラムにどのような関係があるのか。

カリキュラムは人生の「地図」であることを理解できるように、こんな話をする。

礼節とカリキュラム

ある日の授業の冒頭で、ぼくは次の画像を示した。

Hideki Matsuyama’s caddie, Shota Hayafuji, removing his hat and bowing his head after returning the pin.

これは、プロゴルファーの松山英樹選手が、日本人の男子選手として初めてマスターズというメジャー大会に優勝したときのワンシーンだ。
そしてこれは松山選手ではなく、彼のキャディーの早藤将太さんの後ろ姿。

アメリカのオーガスタ・ナショナルGCで開催されるマスターズは世界最高峰の大会であると同時に、開催されるオーガスタ・ナショナルGCは、世界中のゴルファーからリスペクトされるゴルフ場だ。
普通はゴルフの試合を見に来ている観衆を“ギャラリー”と称するが、オーガスタは”パトロン”と称する。
ともにトーナメントを作り出している支援者、という意味だ。

そんな伝統的な世界大会で、日本の松山英樹選手が優勝したことは、本当に嬉しいニュースだった。
しかしその裏側で、あまりにも何気なく、そして感動的なドラマが生じていた。

マスターズの伝統で、優勝者は最終18番ホールグリーンのピンフラッグを持ち帰ることができる。
日本人で優勝者はいなかったから、そのような伝統は知らなかったし、誰も関心を持っていなかっただろう。
だから、パトロンも、テレビの中継もみな、優勝を決めて18番グリーンを後にする松山選手の歓喜に酔いしれ、その背中を追っていた。

その中、1人18番グリーンに戻る早藤キャディーの姿があった。
早藤キャディーは、松山選手の大学のゴルフ部後輩で、数年前からキャディーを務め、二人三脚で世界を転戦していた。
彼は、優勝者がオーガスタの18番ホールのピンフラッグを持ち帰るという慣習を知っていたから、歓喜の群衆から1人離れ、18番グリーンに引き返していた。

そしてピンフラッグを抜き、旗を取って手にした。
そして早藤キャディーは、一瞬の躊躇を覚えた。

「フラッグを取ったピンを、もう一度刺せばいいのか、グリーンに置けばいいのかわかりませんでした。一瞬迷ったけど、もう一度、ピンをカップに差し入れました」

その後の、何気ない早藤キャディーの行動が、世界のゴルフファンを感嘆させた。

早藤キャディーは、フラッグを手にし、帽子を取り、トーナメントを終えた誰もいないゴルフ場に、1人頭を下げたのだった。

その瞬間を、アメリカの1人のジャーナリストが注目し、動画を撮っていた。

そしてそのジャーナリストは、敬意を表しながらTwitterに動画をあげた。

その動画は世界中で180万回以上再生され、「誇り高き日本人」「最後まで礼儀を忘れない、日本人らしい振る舞い」と称賛された。

ちょうどその頃、コロナ禍におけるアジアン・ヘイトの問題が話題になっていた。

ぼくたちが、アメリカ人とイギリス人の見分けがつかないのと同じように、海外では日本人や中国人、韓国人の見分けはつかない。
そのころのニュースで、フランス在住で2ちゃんねんる創始者のひろゆき氏が、カメラを回しながらセーヌ川沿いを歩いていると、散歩中の老夫婦に「中国人は出ていけ」と罵倒された様子が映っていた。

そのようなアジアン・ヘイトのさなかに、早藤キャディーが「誇り高き日本人」として世界の注目を浴びたことは、本当に嬉しいできごとだった。

ここで大切なのは、「日本人は礼儀を忘れない」という海外からの評価だ。
そこに、学校教育におけるカリキュラムの存在がある。

カリキュラムは「何を学ぶのか」という表出しているものもあれば、”ヒドゥン・カリキュラム”として、潜在するカリキュラムもある。

たとえば授業の始まりに、担当の子供が前に出て
「今から授業を始めます。礼!」
と号令する。
授業が終われば、
「ありがとうございました」
と礼をする。

これが日本の”ヒドゥン・カリキュラム”のひとつだ。
教科書にも出てこないが、学校教育の流れに息づいている。

それは面倒で、どこか戦時下の慣習の風合いがある。
しかし、現代社会に置いて、世界のリスペクトを受ける日本人を生み出している。

カリキュラムは、人を育て、人生を創造し、国を創造する。

そのようなものであるという認識が必要だ。
そこから、これからのカリキュラムをイノベーションしていこう。

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