「アジアの教師のスペシャリティー 〜中国の教師〜」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.75

前回No.74では、教師と言う職業のスペシャリティーについて考える上で、アメリカのある校長の例について書いた。

今回は、アジアの教師について見てみよう。
そこには、どのようなスペシャリティーがあるのだろう。

中国の教師のスペシャリティーと表彰制度

1966年から10年間、毛沢東が展開した文化大革命期には、多くの知識人が迫害された。
カンボジアでのクメール・ルージュ(ポル・ポトによる独裁政権)もそうだが、独裁者は知識人を畏れる。
だからジェノサイドの中で、教師や医師が真っ先に迫害されてきた。

中国の文化革命期、教師は

「臭老九」(9番目の鼻つまみもの)

と揶揄され、迫害の対象だった。
そのような厳しい迫害に耐えきれず、自ら命を絶つ教師がいたほどだから、当然、人気のある職業ではなかった。
したがって教員不足が恒常化しており、農村部を中心に無資格教員が多くみられたという。

ところが2021年現在、中国では教師になることのステータスが熱を帯びて急上昇しているようだ。

なにが中国の教師像を変容させたのか。
それは日本の教師の「憧れ」を取り戻すためのヒントになるかもしれない。

中国の教師像が変容した理由としては、中国の学歴社会によって大学卒業者が増加してきている実態が挙げられる。
大学卒業者の増加により、同時に、就職競争も加熱してきた。
そこで、教師の資格は進路の選択肢を増やす上で有効になってきたということだ。

また、教師の報酬が上昇していることや、他の職種であっても教師の資格が必要であったり、有効に働く可能性がある場面が増えてきたということも理由に挙げられる。

数年前だが、上海の小学校で安全教育の授業をする機会があった。
華東師範大学附属小学校というところで、かなりのエリート校であることはわかっていた。

上海に到着すると中国流の歓迎を受けたが、そこにいる教師たちはまるで一流企業の社長や、大儲けしている実業家のような風情だった。

その姿から、「教師」としての自身を誇り高く思っていることが伝わってきた。

そしてある教師は、焼酎のグラスを飲み干しながらぼくに近づいてこう言った。

「私は特級教師です」

「特級教師」とはなんだろう。

先にも述べたが、中国では文化大革命で教師の質が著しく低下した。
文化大革命が終わり、教育を再興する必要が生じたことは言うまでもない。
無資格教師が横行していたことを改め、「教員考課」制度を作り、教師の質を高めようとした。

この教員考課制度はこれまでに、様々な変化を遂げてきたが、その中で教師の表彰制度がある。
その、教師の表彰制度の中に「特級教師」が最高の栄誉として設置された。

「特級教師」に選ばれると、報酬が上がるだけではなく、住居への手当や医療への手当など、まさに特級の待遇が付与されるのだ。

ぼくに「私は特級教師です」といった教師は、本当に誇り高い思いで言ったのだろう。

日本にも教員評価制度は存在するが、機能していない。

まずそこには、

「教師というもの、教育というものは他者に評価されるようなものではない。長い目で見るべきものだ」

という思想が根強く存在する。
そのことには教育というものの特性が示す、納得できる理屈もある。

だがもう一方で、「評価者」の問題が壁となっている。
教員評価制度で一般の教師を評価するのは、その学校の校長となる。
だが、教師は自校の校長から評価されることに対して多くの納得がないことが実情だ。

前回のアメリカの教師の項で触れたが、極端な言い方をすると日本の校長にはだれにでもなれる。
これは、校長になる資質や能力のことを言っているのではなく、構造的な問題だ。
日本の学校で校長になるために、多くのものは求められない。
特殊な学歴は必要ないし、学校経営学や行政学のマスターやドクターも必要ない。
年齢が経ていて、形式上の校長試験に合格すれば校長になる。

だから、校長になったからといって一般の教師はリスペクトしない。

これは、校長を生み出す構造的な問題だ。

だから一般教師は校長から評価され、ましてやそれが給与に反映されることに決して納得はしない。

この構造も、日本の学校教育の曖昧さを生んでいるのではないだろうか。

中国の教員考課制度の良し悪しはともかくとしても、その徹底ぶりは中国の教師のスペシャリティーを生み出しているといえるだろう。

日本の教師が他国の訪問団に、

「私は教師です」

と誇り高く言えることは、日本の教師のスペシャリティーの存在において重要だ。
そんな日が来ることが望まれる。


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