「映画“ベストキッド”と海外のいじめ」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.54
海外のいじめについて
今、いじめと教師について探究しながら書いている。
前回はいじめの3つの潮流について考察したが、その中で第1の潮流の「いじめの発見」期に、日本ではいじめ研究が「鎖国状態」にあったため、まるで海外ではいじめがないかのような解釈が流布していたと書いた。
そのことが、いじめの原因や構図を「日本特有の」もの(たとえば横並び思考や異端を嫌うような)に求めることになった。
その影響は、今でもあるのではないだろうか。
ついついぼくたちは、集団による陰湿ないじめの構図を、日本特有のものと解釈する。
きっと海外では、こんなことはないのだろうと。
では少し、海外のいじめについて見渡してみよう。
そんなことを考えていた時、ある映画を思い出した。
”ベストキッド”(1984年、アメリカ)
この映画は2015年春に日本で公開されたのだが、当時中学校3年生で卒業式前の3月、高校入試も無事に終わったぼくは、この映画を1人で観に行った。
たいした理由もなくチョイスしたのだと思うが、朝一番の上映から館内に入り、この映画に魅せられ、夕方までずっと館内から出ずに繰り返し観たことを覚えている。
「いじめられっ子」の男子高校生がkarate(空手)を会得し、大会でにっくき「いじめっ子」をやっつける爽快なストーリーも好きだったが、アメリカの高校生活の雰囲気、”サバイバー”の軽快な音楽、ヒロイン役のエリザベス・シューの可憐さ、”ミヤギ”とダニエルの師弟関係、そのすべてが好きだった。
結局、高校生になる前の春休みに3度、ぼくは映画館に足を運んだ。
映画「ベストキッド」に見るいじめの構図
今、映画を思い出しながらストーリーを描いていると、本当に単純明快なストーリーだと思う。
しかし、別の視点でこの映画を見たとき、そこにはいじめの構図が見えてくる。
母子家庭のダニエルは、母親とともにニュージャージーからカリフォルニアに引っ越してきた。
さっそく誘われたビーチパーティー(これもアメリカっぽくてとてもいい)で、同じ高校に通うアリ(エリザベス・シュー)に一目惚れする。
そこに、同じ高校の不良軍団「コブラ会」のメンバーがバイクで現れ、アリの元カレがアリにちょっかいを出す。
そしてダニエルがアリを助けようと軍団のリーダーに声をかけた。
「やめなよ」
コブラ会はkarate道場の猛者たち。
ダニエルはアリの前でボコボコにされる。
それから、コブラ会によるダニエルへの「いじめ」が始まった。
学校でダニエルを見つけるたびに、集団でのいじめ行為を繰り返す。
怪我だらけで帰ってくるダニエルを、母親は心配した。
「こんな街は嫌だ」
と叫ぶダニエル。
その声を聞いていたアパートの管理人、”ミヤギ”は空手の達人だった。
ダニエルは”ミヤギ”に弟子入りする。
最後には、大会で反則行為を繰り返して勝ち進むコブラ会だったが、決勝でダニエルは、”ミヤギ”から伝授された必殺技で勝利する。
ダニエルを演じたのはラルフ・マッチオという俳優だ。
この映画のストーリーを考えたとき、監督のジョン・G・アヴィルドセン(映画”ロッキー”の監督)はなぜ、ラルフ・マッチオを選んだのか。
ダニエル役のラルフ・マッチオはイタリア系アメリカ人で、エキゾチックな風貌だ。
コブラ会のリーダーやヒロインのアリが生粋のアメリカ人を想像させるが、ダニエルは肌の色も少し違う。
また、アリやコブラ会はカリフォルニアのリッチな家庭の子供たちだが、ダニエルはニュージャージーの工場地帯の出身であるという設定だ。
ここには、人種や貧富という構図から生まれるいじめの設定が見えてくる。
アメリカのオハイオ州で2003年に実施された大規模ないじめ研究調査(11歳〜17歳の78000人を対象)では、全体的ないじめ被害は20.1%だったことが報告された。
78000人の対象者のうち、白人は63%、アフリカ系アメリカ人は21%だった。
そして同報告では、アフリカ系アメリカ人、ならびにネイティブアメリカ人の子供は、いじめ被害の高い経験率を示したことを報告している(「学校におけるいじめ ー国際的に見たその特徴と取組への戦略」ピーター・K・スミス著 学事出版 2016年)。
たとえばベストキッドや、この調査結果から示唆されているのは、アメリカという国特有の人種問題が、「アメリカにおけるいじめの構図」の背景にあるのかもしれない。
BLACK Lives Matterもあった。
関連すると、今日たまたま、ぼくの勤務校で中国の大学生とのオンライン交流会が実施された。
そこで、中国でのいじめ問題はどのようなものか、学生が質問した。
すると中国の大学生は、
「あまりないと思う。私の周りでも、いじめはありません」
と言った。
これは、中国の高い監視性が影響している可能性もある。
中国は教室にも監視カメラが設置されているし、とても規律に厳しい。
そして自由にSNSを使用できない環境が、日本のようなSNSによるいじめを起こりにくくしている可能性がある。
また、2年前にベトナムに行ったときに、ベトナムの大学生が
「いじめで自殺するなんてありえない」
「もしそこまで苦しんでいる友達がいたら、私たちは必ず助けます」
と言った。
このときぼくは、発展途上国特有の温かさを感じたものだが、では経済的発展がいじめの構造の中に潜んでいるのか。
「いじめをなくしましょう」
ということは簡単だが実効性がない。
それは歴史が証明してきている。
海外や国内のいじめの構造をよく見ていくことが、これからの学校教育への、そして教師のいじめ対応への有益な示唆を生み出すだろう。
もう少し、いじめについて考えていこう。