30年目の1.17
– 「自分ごと」とは

今日、2025年1月17日は、阪神・淡路大震災から30年目の日だった。

例年、ゼミの学生を連れて1.17の集いに参加する。

前日から神戸に行き、夜はゼミ会をして楽しく過ごす。
その時点では「ゼミ旅行」。

翌朝、寝ぼけ眼を擦りながら、4時半にホテルロビーに集合。
震災を知らない学生たちは、これからどんな光景を見るのか知らない。

真っ暗で、頬を刺すような寒気の中、神戸市立東遊園地へと向かう。

まだ5時前の街。
にもかかわらず、押し黙って歩く人々と合流する。

そして東遊園地に到着すると、圧倒的な人の多さに学生たちは絶句する。

譲り受けた「命の灯」をロウソクに灯し、メッセージが書かれた竹灯籠に火を灯す。

そして、内面から強烈な刺激を受ける瞬間が訪れる。

アナウンスの声と共に、数千の人々と共に5時46分0秒を迎える。
一瞬にして数千の沈黙が訪れ、黙祷を捧げる。

30年前の今、この瞬間に突き上げるような大地震がやってきた。
そして、6434人の命が失われ、多くの人々の人生が変わった。
その瞬間を思いながら目を瞑っている。

次第に、さざなみのように啜り泣く声が聞こえてくる。

黙祷を終えた学生は、昨晩とは違っている。

考え、学び、歩いてホテルに戻る。

これだけでいいと思う。
それぞれが何かを感じていることだろう。


しかし、よく聞く言葉に「自分ごとにしなければならない」という文言がある。
学校の教員ほど、この言葉をよく使っているのではないだろうか。

震災を経験していない若者が、阪神・淡路大震災を「自分ごと」にできるだろうか。
あるいは、何を持って「自分ごと」になったと捉えるのだろう。

震災遺族は熱く痛烈なメッセージを放つ。
また、事件の被害者遺族の痛烈な言葉を、私は何度も聞いてきた。

その言葉を解釈し、親であれば我が子の命に生かし、教師であれば目の前の子どもの命につなげていく。

その方法と熱量は人それぞれであり、「我が事として捉える」ことではない。

学生にそれを強要すると、とたんにしんどくなるだろう。

私は、附属池田小学校事件を自分ごとにはできなかった。
今後もできないだろう。
それは「他人事」という意味ではない。
向き合い方を考えてきて、それを見出した。

「自分ごとにしていくことが必要だ」という言葉は安易に使うものではないと、強く感じた30年目の今日だった。

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