奈良小1連れ去り事件から18年目の追悼①

教訓の伝承のために

毎年1年間の中で2回、悲しみと共に子供の安全について深く考える時期がある。
一つは6月8日。
これまで幾度も話題にしてきたことだが、この日は、21年前(2001年)に大阪教育大学附属池田小学校で不審者乱入事件が発生した日だ。

そしてもうひとつの、自身にとって大きな意味を持つ日が11月17日である。
18年前(2004年)のこの日、下校途中の1人の奈良市立小学校1年生の女児が連れ去り事件に遭い、命を失った。
奈良市では、毎年11月17日近くの日曜日に「子ども安全の日の集い」を催し、市内の小中学校教員、PTA、ボランティアを対象に追悼式を行う。
ここ数年はこの機会に講演をしていることもあり、自身にとって大切な日であり、改めて子ども、学校の安全について考える。

今年の講演内容については、本ブログの「学校の反脆弱力」に関連するので、そこで紹介することにして、ここでは11月17日に被害に遭った有山楓さんが通っていた、奈良市立小学校で開催された、事件から18年めの「いのちの集会」について書きたいと思う。

当日、有山楓さんが小学校1年生の時に使用していた机が、遺族から提供された。

11月17日、午前9時になる少し前。当小学校に到着し、体育館に案内された。
するとそこには、100名ほどの児童(6年生と、1〜5年生の代表児童)が、静かに前を向いて、微動だにせず座っていた。
この日が、学校にとっていかに大切な日か、指導されているのだと感じられる姿だった。

このような子どもたちの姿を、そこに集う人たちはどのように感じているのだろうと考えた。
子どもたちは、舞台に上がって「子ども安全宣言」なるものを各学年で発表した。
その言葉も、ずいぶん指導されたものであることが感じられた。

じつは、このような子どもたちの姿はとても大切なのだ。
まるで子どもたちが、教師の操り人形のように、意味もわからないのにその行事に取り組まされているようだということを言う向きもあるだろう。

たしかに、事件について壇上で話す校長先生の言葉を、キョトンとした様子で聞く1年生の子どもたちの姿がある。
1年生の子どもたちが、自分と同じ年齢で壮絶な事件に遭遇し、命を失った人がいたことを想像したり、理解することは困難であり、それを要求することは酷なことだろう。
しかし、この子どもたちは来年は2年生になり、5年後には6年生になってこの場にいることだろう。
そのとき、「命」や安全(や危険、危機)、そして有山楓さんが遭遇した事件に対する理解が大きく変容している自身に気づくことだろう。
そして、次はその悲しみ、そこから見出される教訓を伝承する立場になっていく。

「子ども安全の日の集い」や「いのちの集会」はコロナ禍においても形を変えながら、継続して実施されてきた。
この意義はとても大きい。

「事件(や災害)を風化させない」ということの意義は、「事件を忘れない」ということも一つだが、その悲しみから生まれる教訓を「次代の命につなぐ」という意義は大きい。

2004年11月17日の事件から、全国の子どもたちの命へとつながった事例について、次回に述べたい。

Follow me!