大阪教育大学附属池田小学校事件 21年目のこの日に①
「今日は爽やかな天気だ」
今朝、通勤中のドライブでそう思ったとき、ある人が言った言葉を思い出した。
「あの日は、とても暑い日だった。そのことを強く覚えている。そして毎年、6月8日は暑い。その暑さで、あの瞬間、あの日のことが蘇ってくる」
今日の日。
2001年6月8日。
今から21年前に世間を震撼させる事件が発生した。
授業中の小学校に暴漢が侵入し、無力で幼い小学校1,2年生の子供たち8人の命を奪い、13人の子供に重軽傷を負わせ、2人の教師に重傷を負わせた。
教訓と学校の変化
それまで、学校は安全な場所だった。
それから、学校の門を一門にすることが推奨された。
事件では、犯人は閉まっていた正門を通り過ぎ、当校の自動車通用門から小学校に侵入した。
当校の自動車通用門は常時開いていた。
教師が車で出入りしたり、来校者が出入りするために。
その、「大人の利便」のために犯人は労せずして学校に侵入し、恐ろしい思惑を果たした。
裁判で犯人は、この門が閉まっていたら、侵入することはなかった、と言った。
この言葉を、我が子をあまりにも理不尽に失った親は、どのような思いで聞いたことだろう。
2度と不審者が学校に侵入し、大切な子供たちの命が脅かされないように、そのために学校は一門にするということだ。
この事件から、教師来校者はIDカードを着用することが推奨されている。
事件の日、犯人とすれ違った教師が犯人を不審者と認識できなかった。
当時、不審者が学校に侵入し、子供に危害を加えるなどとは誰も想像しなかった。
だから、すれ違ったときに不審者かもしれないという認識を抱くことは難しかっただろう。
しかし、子供を亡くした遺族にとっては、そのときに止めてくれていたら、という思いは強いことだろうと思う。
この教訓がIDカードにつながっている。
これらの教訓は、今、どれほどの学校に響いているだろう。
“まさかうちの学校には侵入しないだろう“
“うちの学校は地域と一体だから、誰が入ってきてもわかるから“
“開かれた学校を閉ざされた学校にはしない“
そんな言葉で、大切な教訓を置き去りにしてしまっていないだろうか。
今日だけは、教師、保護者は目の前の子供を見つめ、21年前の事件に思いを馳せ、その「当たり前ではない命」を守ることを考えてほしいと思う。