学校における危機管理とは-7(終). 学校危機の帰結に向けて

本論では、学校危機について、「学校管理下において発生した事件・事故・災害を契機とするものであり、学校・教師による選択的対応によって継続・変化する可能性を持つもの」と定義することができた。

ここでいう「選択的対応」とは、学校危機のフェーズで突然、あるいは予測可能的に訪れるターニングポイントにおいて、学校や教師がいくつかの選択肢の中で判断し、決定し、実施する対応を示す。
そしてその選択的対応によって、学校危機は帰結することなく継続し、形を変えて存続することが本論で明らかとなった。

当然のことながら、望まれるのは学校危機が発生しないことであり、発生しても速やかに帰結することである。
だが、学校危機が発生しないというユートピア的発想が空論であることは、残念なことに歴史が実証し続けている。
それは、学校危機の例を挙げてみればわかる。

本論では2011年の東日本大震災における大川小学校津波事故と、2001年に発生した附属池田小学校事件を事例として取り上げた。
津波が学校管理下において発生することは防ぎようがない。
また、学校に侵入しようとする暴漢の存在は学校や教師の預かり知るところではない(人を傷つけない心を育てようとする教育、例えば道徳科などにおいて実践されていたとしても、生命の存続危機に関わる事件はゼロにはなっていない)。

しかし学校危機の発生は防ぎようがないが、学校危機の速やかな帰結は目指すことができる。
私たちは改めて、発生と帰結は別であるという認識にたつ必要がある。
例えば大川小学校津波事故では、「学校管理下において津波が発生することは防ぎ様がない」と述べた。
しかし、津波から子供を守ることは不可能ではなかった。
大川小学校津波事故における学校危機で、もっとも早いフェーズでのターニングポイントは、3次避難の選択的判断だった。
14時46分の地震発生後に「裏山」に避難していれば、子供や教職員の命は失われなかった可能性がある。
これがもっとも早く、望まれる大川小学校の学校危機の帰結であった。

附属池田小学校事件では、「暴漢の発生」は防ぎようがないが、「暴漢の侵入」は防ぐことができる。
この事件におけるもっとも早いフェーズでのターニングポイントは、校門や自動車通用門の開閉という選択的判断である。
自動車通用門が閉まっていれば、暴漢が侵入することはなく、子供たちの命は守られたという可能性がある。
これがもっとも望まれる学校危機の帰結だろう。
もちろん、いずれの事故、事件についても結果から想定される帰結であることは言うまでもない。
そのとき、このような帰結の答えは誰も持たなかったのが事実である。
しかし、これら帰結の「正解」は、これからの学校危機に教訓として生かされるべきである。

これらの事例検証から本論は、学校危機が同じように発生し、速やかに帰結しない要因として「学校危機への合意形成」「学校危機に対する責任受容」「学校危機を帰結する教訓」という3つの要因を提起することができる。

形を変えながら継続する学校危機は、これら要因のいずれか、あるいは全てが欠落した場合に起こっていると考えられる。
たとえば大川小学校津波事故では、「学校危機への合意形成」が欠落した。
迫り来るターニングポイントの中で、その危機感や避難の必要性における合意が、学校と住民のみならず、教員間で形成されていなかった。
また附属池田小学校事件では、その2年前、1999年に京都市で、放課後の小学校に暴漢が侵入し、小学校2年生の児童が殺傷される事件が発生している。
だが附属池田小学校のみならず、多くの学校・教師はこの「稀に見る不幸なできごと」が近く我が身に起きるとは想定しなかった。
「学校危機を帰結する教訓」を取り入れることが欠落したといえる。
あるいはいじめに関連する児童生徒の自死では、学校や教育委員会の「学校危機に対する責任受容」が混乱し、その危機を悪しく変化させ、不必要に学校危機を継続させる事例が少なからずあるだろう。

これから本論に関連する研究、「半脆弱性」をもつ学校危機マネジメントプログラムの構築において、「学校危機」の定義を明確にすることは必要不可欠だった。
本論では2つの事例を実証的に取り扱い、学校危機の定義を明確にすることができた。
しかし当然のことながら、学校危機は災害や事件のみではない。
また、学校管理下における事件、事故、災害について、学校や教師はどの程度の危機対応が可能なのか。
あるいは学校危機に対する学校や教師の意識の在りようや在り方など、探究するべき課題が多く示唆された。
継続して研究し、その結論へと近づいていかなければならないだろう。

 

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