学校における危機管理とは-6. 学校危機におけるターニングポイントと継続、変化

大川小学校津波事故と附属池田小学校事件という二つの事例から、危機は継続すること、そして継続の過程でターニングポイントが訪れ、その選択的な対応が危機の継続性や強度に影響を及ぼすことがわかった。

そこから、「学校危機」は「学校管理下」のみで終結するものではないこともわかる。

そこで本論では学校危機について

「学校危機とは、学校管理下において発生した事件・事故・災害を契機とするものであり、学校・教師による選択的対応によって継続・変化する可能性を持つもの」

であると定義する。

この定義からわかることは、学校危機とは、そのときに発生した事件や事故、災害などの事象のみを指すものではないということである。
では、事件・事故・災害という事象が発生し、そこに関わる学校や教師がそのときにどのような選択的判断をし、それがどのように学校危機の継続と変化を起こしたのか、事例から検証してみよう。

2011年3月11日、14時46分に発生した東日本大震災は、先に述べたように、多くの学校にとっては学校管理下において発生したことになる。
石巻市立大川小学校の近辺は震度6弱を記録した。
この学校危機に対して、多くの学校が対応するのと同様に、大川小学校でも「机の下に潜り込んで身を守る」という1次避難を児童に指示し、揺れが治ったタイミングで児童を運動場に避難させ、建物の倒壊の可能性から児童を避難させるという2次避難を実施した。
当時の気温が1.6℃であり、上着等を持たせずに避難したことを除けば、セオリー通りという意味においてこの時点での学校・教師の選択的判断には問題がないように思われる。

この第1のターニングポイントで学校危機は変化していない。
その後、14時52分に第2のターニングポイントが訪れる。
この時、大川小学校の校庭にもサイレンが鳴り、津波警報の発令を知らせている。
だがここで、学校・教師の選択的判断は、3次避難ではなく、さらにセオリーに則った「点呼」だった。
このことについて、「大川小学校事故検証報告書」では

「少なくとも15時15分~20分頃までは、地域住民・保護者はもとより、教職員においても、大川小学校付近まで津波危険が及ぶ可能性を具体的に想定し、切迫した避難の必要性を認識していた者は、多くはなかったものと推定される」

と報告されている。

そして学校・教師はこの後、およそ30分の間校庭に留まることを選択的に判断している。
この校庭滞在中というフェーズでは、3次避難を実施するか否かの選択的判断と、どこに避難するのか、という選択的判断場面が生じている。
結果的には3次避難のタイミングが遅かったことと、3次避難場所の選択が被害を拡大させたことが、学校危機を変化、継続させることになった。

このときの学校・教師の選択的判断は、被害者遺族の学校・教師への不信感へと繋がり、3年後に始まる、遺族の一部による訴訟という新たなる学校危機へと継続、変化したと考えられるのである。

(次回へと続く)

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