学校における危機管理とは-5. 学校危機の「正への転換」

大川小学校津波事故を事例に、学校危機の継続について述べたが、もうひとつの典型的な学校危機である大阪教育大学附属池田小学校事件を事例に、学校危機の継続が変容する様相について考察する。

2001年6月8日に発生した附属池田小学校事件は、授業中の学校に暴漢が侵入して教室に乱入し、小学校1、2年生の命を奪うという事件だった。
このように、学校が日常的な状態(児童生徒がいて、教師もいる状態)の中に不審者が侵入し、児童生徒の生命に危機をもたらす事件について、過去の事例はどうなのか。

たとえば附属池田小学校事件の2年前、1999年には京都市立日野小学校において、校庭で遊んでいた小学校2年生の男子児童が侵入者に刺殺される事件が発生している。
この事件は放課後の時間帯に発生しており、当時の「開かれた学校」という状況下においては不審者の侵入を防ぐことは容易ではなかったと考えられる。

もちろん、放課後も学校管理下ではあるが、教員等の大人の目が行き届かない可能性は拡大する。
その点では学校の課業中に発生した附属池田小学校事件は稀な事件であり、それは「危機」の概念に相当するものであったといえる。

事件発生後、当校は実質的な休業状態に入った。
6月8日の事件発生後、建設された仮設校舎での学校再開まで、夏季休業期間は含むがおよそ3か月近くの学校休業を余儀なくされた。
学校再開後、児童のメンタルケアの必要性が生じ、教師は国立大学の附属小学校の役割である授業研究等に取り組むことがままならない状況が続いた。
そして、事件で子供を失った遺族への責任、他の保護者の不安や信頼の回復など、多くの「危機」が当校には存在した。

事件発生から2年後の2003年6月8日に、被害者遺族との間で「附属池田小学校事件合意書」が取り交わされ、事件はひとつの結論を迎えた。
しかし、危機はそれで去ったわけではない。
たとえば学校の授業は一般的な学校とは異なる場面が多く含まれた。
その一つは、たとえば図工の授業で彫刻刀を使用しないなど、「刃物を使用しない」ということであったり、授業教室の移動は必ず大人がつくということなどである。
あるいは登下校には教師が登下校ルートに点在して児童を見守り、自転車に乗って巡視した。
これらは事件が発生し、子供の命を失った学校の取り組みとしては必然であったといえよう。
したがって、学校の課業中は、教師には「安全を守らなければならない」という「危機」感が常時存在したといえる。

危機はTurning Pointと表現された(Jared Diamond,2020)ように、附属池田小学校事件から派生し、継続する危機にTurning Pointが訪れていた。
そのTurning Pointの様相について、Jared Diamondはフィンランドの国家としての発展を例に挙げた。

フィンランドはOECDのPISAで「学力世界一」になったことが印象的だが、かつて、第1次世界大戦以前の19世紀はロシアの従属国であり、農業と林業で成り立つ貧しい国家だった。
ロシアと隣接し、常に自国よりも巨大な隣接国との戦争で多くの国民を失っていた。
これは明らかな「国家的危機」の連続である。

対ソ冬戦争から継続戦争へと続いた国家的危機の継続は、1944年のモスクワ休戦協定でひとつの結末を迎える。
休戦協定でフィンランドは、多額の賠償金を背負うことになる。
工業化していないフィンランドにとっては支払うことができず、支払い期間を延長し、さらに賠償金の金額を減額せざるを得なかった。
休戦協定によるこのTurning Pointは、フィンランドにとってはいったん戦争から逃れることができるが、絶望的な債務を背負うという新たな危機を訪れさせた。

しかし、この新たに継続した国家的危機は、小国のフィンランドに思わぬ方向性をもたらす。
先にも述べたように、フィンランドは農業や林業を中心とた国家であり、工業は未発達だった。
しかし、この絶望的な負債が小国の経済を刺激したのだ。
賠償金を支払い、国家を立て直すためにフンランドは工業化へと向かい、造船や輸出品の製造などの重化学工業を発展させた。
そしてフィンランドは今では国民の平均所得が世界で16位(日本は22位、2020年)の豊かな国家となった。

このフィンランドの変容について、Jared Diamondは(この賠償金には「あぶないこと」と「機会」を組み合わせた漢字「危機」の本来の意味がよく表れている)と説いた。
継続的に訪れたcrisisへの対応(management)のタイミングで(Turning Point)、それを発展のchance(機会)としたということである。

このような継続的な危機の中で訪れたTurning Pointにおける「正への転換」は、附属池田小学校事件における学校危機の中でも起こっている。
継続する学校危機の中で、附属池田小学校は「学校安全の推進」へと舵を切る。
先に紹介した合意書における事項によって、当校は校内に学校安全主任という役割を設置した。
2009年には文部科学省教育課程特例校に指定され、日本で初めてとなる「安全科」を設置し、安全教育のカリキュラム開発に取り組んだ。
2011年には日本で初めてとなるWHO International Safe Schoolの認証に成功した。現在は大阪教育大学学校安全推進センターが認証センターとなり、SPS(Safety Promotion School)の認証活動を展開しており、国内外で70校以上をSPSとして認証してきている。

これらの活動は2001年に発生した事件による継続的な学校危機(の一部)が正の転換を果たした好例であると言えるだろう。

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