学校における危機管理とは-4. 災害と「学校危機」

前回、危機(crisis)の定義について、Jared Diamondの説を引用して「非常に長い間隔をあけて起こる、きわめて稀で劇的な大変動」と述べた。

しかしここでは、この定義に加えて危機が「学校危機」(School Crisis)であることと、それが発生した状況が「学校管理下」(Under School Supervision)であることをミックス、あるいはブレンドさせながら進めていく必要がある。
したがって、本研究で取り上げる大川小学校津波事故は、「学校管理下において発生した、きわめて稀な学校危機」ということができる。
「きわめて稀」であるかについては、過去における地震・津波災害を概観すればその妥当性がわかる。
2011年3月11日に発生した津波災害は、内閣府によって「ミレニアム津波」と表現された。
当震災は、平安時代初めの貞観11(869)年の陸奥(むつ)国の地震津波以来、1142年ぶりの巨大地震であるとされた。
東日本大震災と貞観地震の津波の規模がほぼ同じであったことは、それは、両震災の津波が多賀城下に達したこと、地質学的に検証された津波の浸水範囲が、両津波でほぼ一致すること、地震津波被害が関東地方にまで及んだことなどの共通点があることから、そのように命名されたものである。
このように、1000年に一度の災害は、「きわめて稀」であると表現されるに相当する。

ところで、「学校管理下」における危機を「学校危機」と称してもいいようなものだが、本研究ではそれらを分けて表現するべきだろう。
なぜなら、「学校管理下」とは場所、時間帯を示す。
児童生徒が家を出てから帰宅するまでが学校管理下という状況である。
このような「学校管理下」で発生した危機を「学校危機」と表現するが、学校危機はそれでけでは治らない。
危機(crisis)はあたかも一瞬や短期的なものであるかのように感じられるが、そうではない。
危機は付加され、変化し、継続する。
たとえばここで、大川小学校津波事故を事例に学校危機の概念を整理してみよう。

2011年3月11日、14時46分に三陸沖を震源とする地震が発生した。
マグニチュード9.0は日本における観測史上最大であり、1900年以降では世界で4番目に大きな規模の地震だった。
そしてこの地震は14時46分という、「学校管理下」の時間帯に発生している。したがって、多くの学校にとって児童生徒の安全を守らなければならないという学校危機に直面した。
この学校危機に対して、学校・教師は児童生徒に対して第1段階の避難(一次避難)を実施する。
ここからは各学校の場所や状況によって対応が変わってくる。したがって一様の学校危機ではない。

石巻市立大川小学校では震度6弱の揺れを観測した。
当時、全校児童108人中、欠席等で学校にいなかった5人を除く103人が学校にいた。
また、12人の教職員のうち、休暇で不在の校長を除く11人の教職員が学校にいた。
揺れが治るまで机の下に身を隠して安全を確保するという一次避難は無難に功を奏し、校庭への二次避難を開始した。

この時点で、2つの継続的な学校危機が発生している。

ひとつは、校長が不在であったことである。
校長は実質的な学校のリーダーであり、とくに学校において災害や事件、事故が発生し、児童生徒の安全が脅かされる事態が発生したときには校長によるリーダーシップとマネジメントが重要になる。
大川小学校津波事故は、校長不在の中で進行した。
このことについて「大川小学校事故報告書」には「校長不在により平時はトップとしてリーダーシップを 発揮する立場であり、かつ学校の本部として情報収集の役割を担う2名のうちの1名を欠いた中で対応する必要があったことが要因として関与した可能性がある」と記載され、校長不在という状況が学校危機のひとつとなったことが検証されている。
大川小学校の津波事故においては、校長不在という要素が津波という学校危機に付加され、新たな別の学校危機を生み出したと言える。

二次避難におけるもうひとつの学校危機は「校庭への避難」である。
当時、外気温は1.4度であり、大川小学校の児童は恐怖と寒さに晒されることになる。
そしてこの状況がおよそ50分続いた。
校庭に避難したことによって、住民との会話が発生し、学校・教師の三次避難への判断の助けにもなり、妨げにもなった。
また、校庭に避難するさなか、地震発生からおよそ3分後、おそらく揺れが治まってすぐの14時49分に津波警報が発令されている。
校庭に二次避難することはセオリーだが、この行動が更なる学校危機へとつながった。
そして校庭への二次避難からおよそ50分後に「三角地帯」への避難(三次避難)を実行した。
これがもっとも大きな学校危機を発生させた。
この学校危機により、大川小学校の児童70名が死亡、4名が行方不明(石巻市は2022年1月に、この行方不明児童4名の捜索を打ち切った)、11人の教職員のうち10人が死亡する「学校管理下における史上最悪の事故」が発生したのである。

この史上最悪の事故は、また別の継続的な学校危機を発生させている。
それは、全校児童のおよそ7割の児童を失ったことによる学校存続の危機と、我が子を失った遺族による学校や市に対する信頼失墜と訴訟という学校危機である。
結果的に石巻市立大川小学校は2018年に閉校となり、遺族による訴訟は2019年の二審判決まで継続した。

ここまで述べてきたように、学校危機とはその瞬間(point)に発生して終わりを迎えるのではなく、学校危機が新たな危機を生み出し、付加され、継続するものだという認識を概念として持つ必要があるだろう。
そして学校危機は、その対応如何によって良い方向へも悪い方向へも導く。
その意味でもTurning Pointsという表現は適切である。

(次回へと続く)

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