大川小学校の悲劇 12.緊急時の判断と教師の特性

三次避難の最終判断には、さまざまな構成要素が重なったと考えられる。
「こうすれば防げたのではないか」というのは、その場にいた当事者以外が考えうることであり、幾分の(あるいは立場によっては相当の)感情や、ストーリー性が含有されていることが多い。

大川小学校の悲劇においては、校庭に留まり続けた「時間」と、三次避難先の「判断」について多くの意見が交わされてきた。

全体を統率することと安全性

本稿では、「判断」を構成した要素は、「場所」「地域性」「学校のリスクマネジメント」であると考えたが、そこに「教師の特性」も加わった。
教師は子供たちを避難させるときに、その集団をどのように動かすのか、そしていかに安全に、「誰も取り残すことなく」動かすのか、ということを考える。
そして、その困難さを十分に承知している。

例えば教育実習にきた学生を例に挙げるとわかりやすい。
教育実習生の中でも積極的な学生は、2、3日もすると次第に子供たちに声をかけて「指導」するようになる。
例えば担任教師の話を聞かずに手遊びなどをしている子供がいれば、そっと近づいて話を聞くように促したりする。
あるいは喧嘩をしている子供たちがいれば、中に入って仲裁などするようになる。
それは、「先生」(Student-Teacher)としての意識の芽生えに他ならない。

しかし、学級の30人の子供たち全体に声をかけ、的確に指示を出し、それが子供たちに一度で伝えることはとても難しい。
内容にもよるが(例えば整列させる程度のことはできるかもしれないが)、それを1ヶ月の教育実習でやってみせる学生を見たことはない。
たいていの場合、大声を何度も出して苛立つ様子が見受けられる。
それほど全体への的確な指示の伝達は難しい。

それが災害時で、しかも津波が押し寄せようとしている緊迫した場面だ。
子供たちも半ばパニック状態であれば、全体の統率は困難を極める。
これは、「判断」の構成要素の一つになる。
全体の統率が困難な場合、教師はその指示を見送る可能性がある。
これは、避けているというわけではなく、「全体の安全性」を優先するからだ。

具体的にいうと、「裏山」を見たとき、そこに6学年にまたがる100人余りの子供を避難させるとなると、遅れる子供、登りきれない子供、怪我をして立ち上がれなくなる子供を想像する。
それは教師にとって、取るべきではない判断の一つになる。

このことは、教師を擁護しているというわけではない。
実際に74人の子供が犠牲になったのだから、教師の判断は間違っていたと言えるだろう。
しかし、その判断には「理由」があったということだ。
それは、「その場」に当事者として立っていた教師の中に生じるものに他ならない。

そしてもうひとつ、この時の教師の判断を左右した構成要素として考えられるものがある。
それは「地域性」というものだ。

大川小学校の当時の児童数は108人で、その校区は福地、針岡、釜谷、長面、尾崎という5つの集落で構成されていた。
全体の人口は2500人弱の小さな地域の小学校だった。
それだけに、学校と地域の関わりは市街地の学校と比べて強かったことが想像できる。
当時の大川小学校では、「保護者は学校に対して極めて協力的」と捉えられていたようだ。

そのような「地域性」が「判断」の構成要素の一つとなったことが考えられる。

まず、地域住民の中では「自分達は海沿いに暮らしいているのではなく、内陸部の人間だ」という感覚があったようだ。
実際にそれまでの数ある地震災害の中で、大川小学校のエリアは津波浸水の経験がなく、ハザードマップからも津波浸水想定域からは外れていた。
したがって大川小学校は避難場所に指定されていた。
当時、「学校にいた方が安全」と住民が考えたことも無理はない。

そしてもうひとつ、「地域性」が「判断」に介在した実態がある。
当時、結果的に唯一の生き残り教員となった教師Aは、2度、教頭(校長不在のため、当時の実質的リーダー)に「裏山」への三次避難を打診している。
しかし教頭からは明確な返事が返ってこなかった。
だが残された記録によると、教頭も「裏山」への三次避難の有効性と必要性を感じ始めていたようだ。

だが「判断」できずにいた。
そして、地域の高齢者たちに「打診」していた姿が目撃されている。

「裏の山は崩れるんですか」
「子供たちを登らせたいんだけど、無理がありますか」

丁寧な口調で聞いて回る教頭の姿が目撃されている。
なぜ、「学校管理下」における緊急避難について、子供の避難を地域の高齢者たちに「打診」したのか。
最終的には、教頭が地域の区長に、
山へ上がらせてくれ
と言い、区長が
「ここまで(津波が)来るはずがないから三角地帯へ行こう
と言い争っている姿も記録されている。

最終的な「判断」を地域の高齢者に頼ったことは、学校と地域の関係性に根拠がある。
このことも、これからの学校と地域の在り方について、意味深い示唆を与えているだろう。
忘れてはならないシーンだ。

だが、このとき教頭が、教師たちが三次避難を「判断」できなかった要因として、その自信を持つことができなかったことから目を逸らすわけには行かない。
それがもう一つの構成要素、「学校のリスクマネジメント」だ。
次回、述べていこうと思う。




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