「まとめ⑥ 子供の貧困と教師」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.98
エリート校の教師について
教師になることを目指す学生が「どのような教師になりたいのか」という問いに、その中にいる5人の、「授業を理解できずに苦しんでいる生徒」を救い出すことという明確で高い志があった。
そこで、教師の存在意義のひとつについて考えてみよう。
ぼくは大学教員になる前は国立大学の附属小学校で教員をしていた。
毎日が充実していたし、附属小学校の教員であることを誇りに感じていた。
なぜなら、そこは「エリート校」だったからだ。
自分自身はその一員であること、そして、日本の教育の先端を走っているのだと思っていた。
しかしそれは、大きな勘違いだった。
エリート校であることは間違いないのだが、子供がエリート集団なのであって、自身はそうではないということだ。
また、自分は「授業がうまい」と思っていた。
このような学校は年に1度、大きな研究会を開く。
全国から多くの教員が集まり、ぼくたち附属学校教員の公開授業を見る。
最先端の「提案授業」として発信しているつもりだったが、子供たちがよくできるからいい授業に見えているだけだろう。
日常の授業でも、何の苦労もなく進む。
それは、子供たちがほぼ全員が大手進学塾に通っていて、すでに学校の授業程度のことは理解済みだからだ。
ここには、今日本の教育が、日本の教師が抱えている苦悩の深淵は存在していない。
もっと目を向けなければならないところがある。
「誰ひとり取り残さない」教師
ぼくが公立小学校の教員をしているときのことだ。
ある家庭からは3人の兄妹が在学していて、ぼくが担任をしていた4年生のクラスに長女がいた。
とても活発で明るい子供だったが、学力はとても低かった。
その子はとてもよく食べる子で、1人で何度も給食をおかわりしていた。
ぼくはその、よく食べる姿を見ながら悲しい思いに包まれていたものだった。
なぜなら、その子の家庭は3人分の給食費を何ヶ月も滞納していたからだ。
厚生労働省の国民生活基本調査(2019)では、コロナ禍前、2018年の子供の貧困率を13.5%と発表した。
これは、7人に1人が相対的な貧困状態にあるということだ。
さらには「ひとり親世帯」の貧困率は48.1%であり、子供の家庭環境について懸念される状況が浮き彫りになっている。
日本は今、そういう国になっているということだ。
そして、このような貧困家庭の子供は、とくに語彙力が低いという調査結果が報告されている(内田、2017)。
報告では、語彙力と習い事の有無(教育投資額)は関連が有意であるとされ、それは統計的に実証されているということだ。
そして、「貧困の連鎖」が起きる。
簡単に言えば、貧困な子供は「質の高い教育」(ここでは大手の塾などを指す)を受けることができず、相対的に学力が低くなる。
すると進学が困難になり、将来的に収入が不安定であったり低かったりする。
これが「貧困の連鎖」だ。
だが、これはおかしくないだろうか。
「質の高い教育」は、実は誰もが享受する機会が平等に与えられているはずだ。
習い事には行けなくとも、どの子供も平等に学校には行くことができる。
だから、子供を貧困の連鎖から救うことができるのは公立学校の教師だということだ。
SDGsの4つ目の目標「質の高い教育をみんなに」は、もっと深刻な問題だ。
ぼくはよく、カンボジアの首都プノンペンにいくが、そこにあるスラムの子供たちは、午前中は学校に行き、午後はストリートチルドレンになって観光客に小さな花を売ったり、近くのゴミ山で売れそうなものを漁ったりする(現在ではそのような子供もずいぶん少なくなってきたが)。
そして将来の夢を聞くと、目をきらきらさせながら「ドクターになりたい」「教師になりたい」と言う。
SDGsの目標は、このような子供たちをターゲットにしている。
日本の子供たちは別だ。
なぜなら、どの子供も「公教育」を受ける権利と、学校に通う可能性を持っている。
まだまだ、学校に通えないほどの「絶対的貧困」は少ないだろう。
日本の「子供の貧困」の連鎖を断ち切ることができるのは誰なのか。
それは、公立学校であり、そこにいる教師だ。
今、目の前にいる、「わかったふりをしながら苦しんでいる子供」の姿に目を向けよう。
その子供を救い、人生を逆転させられるのは教師だ。
こんな調査結果が、いずれ将来に出てきてほしい。
”学校でよい教師からよい授業を受けた子供は、貧困の連鎖から脱して、Well-Beingな人生を送ることができる”