「まとめ④ 大学で何を学ぶのか」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.96
大学における教員養成のジレンマ
「どのような教師になるのか」、あるいは「教師は何をするべきなのか」について考えていくために、まず大学における教員養成の課題について明確にしておこう。
現在の日本における教員養成のシステムは、「免許制度」「大学における教員養成」「開放制」が基盤となっている。
免許制度については、免許更新制度の廃止(2023年から)も含めて、教員の負担減やなり手の確保への政策で変化が起きて行きそうだ。
戦後の開放制は一方では功を奏し、教員不足を解消してきた。
しかし、他方では「でもしか教師」(教師にでもなっておくか・教師にしかなれない)を生み出すなど、負の側面があったことも否めない。
制度の効果や優劣は、時代や社会の変化とともに移り行くのが常だが、では「大学における教員養成」についてはどうだろう。
教員養成大学の理念は各大学で定めているところだが、いずれにしても広く豊かで専門的な教養と、教師としての実践的な力を育成し、「いい教師」の基盤形成を目的とするところに大差は生じないだろう。
しかし現状はどうだろう。
実はそこには、「理念」と「生き残り」におけるジレンマが生じている。
たとえばぼくが教師をしていた頃、まだ10年ほど前はどこを向いても国立の教育大学出身者が主だった。
中には私立大学出身者もいたが、幾分稀な存在だったと言える。
だがここ数年では、私立の小規模大学出身者がかなり増えてきている。
その要因は、私立大学の教員養成課程への新規参入が相次いだためだ。
例えば国立大学と私立の課程認定大学の比率は、小学校教員に対象を絞ると、大阪府だと国立は大阪教育大学の1校であるのに対し、私立大学の課程認定校は21大学にのぼる。
大阪教育大学から教師になる人数は全国的にもかなり上位なので、人数比では1:21にはならないが、それでも私立大学出身者の教員採用数はかなり増加していることが容易に推察される。
この、課程認定大学の乱立は、一つの懸念を生み出している。
それは、「2030年問題」と関連がある。
2030年には日本は完全な少子高齢化社会に突入し、18歳人口は2020年より14万人減少することが見込まれている。
これを大学進学率と兼ね合わせ、さらに教育学部への入学者を見込んでいくと、小規模の私立大学は生き残ることができないという計算が容易に成り立つ。
そこで私立の大学は、教員採用試験の合格者数の増加が最重要課題となる。
そして「いい教師を世に送り出そう」という理念は建前となり、大学は教員採用試験対策に重点を置いた専門学校化が加速していく。
ディプロマ・ポリシーは建前となり、学士を育てるという科目でも平気で教員採用試験問題集に取り組ませている。
ここに、私立の教員養成系小規模大学のジレンマがある。
このような大学は競い合うように「面倒見のいい大学」を謳っている。
手取り足取り教員採用試験対策に取り組み、合格者数をあげようとする。
だが、その結果、何が起きているかを正視しなくてはならないだろう。
これはぼくが勤める大学の話だが、教員採用後1年足らずで教師を辞めてしまう卒業生がいる。
パワハラがあったとか色々理由は聞いたが、聞けば聞くほど感じたのは圧倒的にその力量が不足していたということだ。
それは、人間力とでもいうものか、生きる力というものか、これから分析していく必要のある現象ではあるだろう。
ただ、そのような卒業生を見ながら最近気づいたのだが、大学生活の中で教員採用試験対策だけをやっていると、「創造性」「想像力」、そして「論述力」が身についていないということだ。
このことは総じて、「批判力」の低さを表している。
「批判力」とは人の考え方や学校、管理職を批判的に文句ばかり言う力のことではない。
いわゆるクリティカル・シンキングのことで、自身の中に専門的な学問と教養に裏付けられた理論(セオリー)、あるいはプリンシプルを持ち、それを背景に物事をクリティカルに見て、判断し、ときには攻めて理論を通したり、ときには強くディフェンスすることができる力、と言うものだ。
大学生活とは、このような力をつける場所ではないだろうか。
そのためには何をすればいいのか。
ぼくは自分のゼミの学生によく言うのは、
「大学生活で、採用試験の問題集を小脇に抱えて生活するようなつまらない日々は送らない方がいい。たくさん本を読んで、たくさん映画を観て、たくさん遊べばいい。できれば海外にたくさん行けばいい。そして、自分が関心を持ったことをたくさん勉強すること」
そんな話ばかりしている。
でも、これが大学生活の本質ではないだろうか。
そんな学生が教師になった時、豊かな体験と学びに裏打ちされた、強くて逞しくて、優しい教師になる。
そして、子供からも親からも敬愛される教師になる。
大学は、もっと志を高く持って教員養成という、国の基盤を支える使命に向かわなければならない。
2030年に向けて、教員採用試験に特化した大学は淘汰され、志を高くもった教員養成をする大学が生き残るべきだろう。